ケベック旧市街の歴史地区

Historic District of Old Québec

概要

ケベック旧市街の歴史地区
Historic District of Old Québec by Ernie Geiger, on Flickr

ケベック旧市街の歴史地区は、カナダ東部に位置する北米唯一の城郭都市です。城壁に囲まれた丘の上にあるアッパータウンと、丘とセント・ローレンス川の間にあるロウワータウンとに分かれています。カナダでありながら公用語はフランス語で、街並みもフランス様式の建物が多く残ります。ケベックという名前は、先住民であるアルゴンキン族が「水の合流点」を意味する「チェベケ」と呼んでいたことに由来されています。

ケベック旧市街の歴史地区は、1985年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。当初は「ケベック歴史地区」という名前でしたが、2006年現在の名称へと変更されました。

世界遺産登録の経緯

16世紀から18世紀の間、カナダではフランス・イギリスによる植民地争奪戦が繰り広げられました。
1608年にフランス人探検家のサミュエル・ド・シャンプランが、セント・ローレンス川流域に毛糸交易のための「ヌーヴェル・フランス」を建設し、その後街は発展。多くの探検家や毛皮商人、宣教師が到来しました。

その頃、北アメリカ東海岸に進出していたイギリスが次第にこの地域に進出し、1629年にはケベックに攻撃を行いました。フランスは、城壁で街を囲い要塞都市としましたが、1759年、ケベックはイギリスの統治下に置かれてしまいます。イギリスとフランスはパリ条約を締結し、フランスによる植民地は150年間で終わることになりました。

イギリスの統治に置かれたケベックですが、1775年ケベック法によりフランス流の慣習を回復し、公共機関の職員にカトリックの信仰も許可されることになりました。ケベックのフランス文化は失われることなく、フランス文化の優雅さと歴史を乗り越えた強さをもつ街となっていったのです。

人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式や建築物があり、普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統や思想、信仰と関連する地域であることから、ケベック旧市街の歴史地区は1985年ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

アッパータウン

シャトー・フロンテナック

シャトー・フロンテナック
Château Frontenac by Luke Nadeau, on Flickr

ケベックの高台にはかつて歴代総督の邸宅が建っていましたが、現在はシャトー・フロンテナックという古城風ホテルが建っています。ケベックのランドマーク的存在で観光客を呼び寄せいています。

ノートルダム大聖堂

ノートルダム大聖堂
Notre-Dame-De Quebec by William Klos, on Flickr

ノートルダム大聖堂は1647年に創建されましたが、英仏戦争や火事等で破壊、再建を繰り返しました。ケベックでは、イギリス領となった後もケベック法によりカトリックの信仰が認められ、その中心となったのがノートルダム大聖堂でした。正面からみて塔が左右非対称で、バロック様式の傑作ともいわれます。

ノートルダム大聖堂

ロウワータウン

国王広場

国王広場はフランス人探検家のサミュエル・ド・シャンプランが1608年に毛糸の交易所を開いたケベック発祥の地であり、その中央にはルイ14世の胸像が建立されています。建立前は「マーケット広場」との呼び名でしたが、建立後は「国王広場」と呼ばれるようになりました。

勝利のノートルダム教会

ノートルダム教会
Eglise Notre Dame Des Victoires by Reading Tom, on Flickr

1688年国王広場内に、石造りの小さな聖堂が建てられました。建立から2年後、ケベックを包囲したイギリス艦隊をフランス軍は撃退し勝利したことから、記念して「勝利のノートルダム聖堂」とも呼ばれます。ここには、聖母マリアとともに、パリの守護聖人ジュヌヴィエーヴが祀られています。

シタデル

シタデルの衛兵

シタデルはケベック最古の建造物で、1693年に築かれました。現在の星形要塞はイギリス軍により作られたもので、アメリカ軍からの防御のために作られました。現在ではカナダ陸軍の駐屯地として活用され、夏期に朝方行われるフランス語での衛兵交代が観光の見ものとなっています。


国名 / エリア アメリカ大陸 / カナダ
登録年 1985年
登録基準 文化遺産 (iv) (vi)
備考 北米唯一の城塞都市

■関連サイト
Historic District of Old Québec(UNESCO)

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