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富士山の概要
富士山は静岡県と山梨県にまたがる標高3,776.12m(剣が峰の最高地点の標高)の活火山です。雪をかぶった山頂が黒い山肌に優美に映え、均整のとれた山体が日本各地から見ることができる 、いつも静かにそこにある日本一の山、富士山。
ところが300年前までは異なっていました。太古から繰り返す火山活動は山体の形を変え、新たな噴火口を作り、溶岩を流して人々を畏れさせてきました。そして人々は自然の山富士山とともに生きるあいだに、宗教や文化、芸術を発展させていったのです。こうした富士山にまつわる稀有な特徴が評価され、2013年に世界遺産に登録されました。
世界文化遺産として登録された理由(信仰の対象、芸術の源泉)
古くから、荒ぶる富士山は聖なる山であり、人々は畏怖をもって遠くから仰ぎ見ては崇め(遙拝) ました。やがて山麓に神社を建立して祭祀を行い、のちに火山活動が鎮まると、修験者や富士講(富士山信仰)信者が登山参拝をするようになりました。庶民のあいだで富士山人気が沸騰し、浮世絵にも多く描かれ、浮世絵はパリ万博で注目を集めて富士山が世界に広められていったのです。
自然の一部でありながらも畏怖され、また崇拝され、芸術のインスピレーションとして和歌や絵画で用いられ、いつの世も人々に愛でられる神秘的な山、富士山。富士山とともに生きる人々に影響を与え、そして人と自然が信仰や芸術を通して共生するという、稀有な特徴をもつ固有性が世界的に評価され、富士山は「信仰の対象であり、芸術創作の原点である」として世界文化遺産に登録されました。
歴史
富士山は確認できるだけで17回の噴火を繰り返し、富士五湖(山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖)や溶岩洞穴、溶岩樹形を形成しました。そのあいだに人々は富士山を火山神・浅間大神が鎮座する聖なる山と崇め、自然のなかで遠くから富士山を眺め祀る遙拝を行っていました。
平安時代後期に火山活動が鎮まると登拝が可能になり、さらに富士講が始まって登拝の大衆化が進み、富士山人気はさらに全国的に高まっていきました。
最近の噴火は宝永大噴火(1707年)で、16日間にわたって大量の火山灰などが千葉や茨城まで降り注ぎ、富士山の東側で甚大な被害が生じました。復旧後は再び信者たちが登拝するところとなり、浮世絵もで富士山は人気の題材となりました。さらにパリ万博を機にヨーロッパにジャポニズムの動きが生まれ、富士山は世界的にも認知されるようになるのです。
明治時代以降は富士山周辺の観光地化が進んで登山がレジャーとして発展し、富士講は勢いを失います。現在の富士山は、夏の開山シーズンだけで約24万人が登山する一大観光地に発展しました。
富士山での見どころ
「信仰の対象」と「芸術の源泉」の価値を持つとして25件の構成資産が登録されました。山頂部で祭祀が行われていた信仰遺跡群や山域の神社、御師(おし) 住宅、登山道、穢れを落とした忍野八海(おしのはっかい)や富士五湖、芸術の題材として人気のあった三保の松原などです。そのうち主なものをご紹介します。
富士山信仰の名跡、山宮浅間神社と富士山山宮浅間大社
山宮浅間神社と富士山本宮浅間大社は富士山信仰を語る歴史的史跡です。富士山の大噴火を憂いた当時の天皇が浅間大神を祀ると、その後噴火が鎮まったのが始まりです。当初は富士山麓の適所を選んで古木などを介して祭祀を行い、遠くの富士山を遙拝していました。現在は山宮浅間神社とされている場所であり、古代祭祀の原初形態を残す特別な神社です。
806年には平城天皇の勅命で遙拝の地から遷座され、大規模な社殿をもつ富士山本宮浅間大社が建立されます。富士山信仰が拡充していき、源頼朝、武田信玄らの寄進、さらに徳川家康の本殿修造など、時の権力の庇護を多く受けました。
平安後期に富士山の噴火が収まって修験者たちによる富士登山が始まります。構成資産の「御師住宅」は、富士講信者たちの登拝を代々世話してきた御師の屋敷で、富士山信仰を支えた歴史を物語る貴重な住宅です。
富士山信仰の自然拠点である名水、忍野八海、富士五湖
富士山に降った雨雪は溶岩地層を通って豊富な伏流水となり、周囲に多くの名水をつくりだしています。忍野八海の8つの池のひとつ出口池は「清浄な霊水」と呼ばれ、修験者たちは富士登拝の前にここで身を清めていきました。湧池は、かつて富士山が噴火し、人々が暑さや火事のため水を求めたとき、コノハナサクヤ姫(鎮火神)の声が聞こえ、水が湧き出してできたという伝説があります。いまも池の中がみえるほど澄んでいて水面に色彩豊かに写る美しい池です。
白糸ノ滝は、富士山の湧水が横150m、高さ20mにわたって滝をつくる神秘的な空間で、富士講の開祖長谷川角行(かくぎょう)が修行を行った地として名高い場所です。
富士五湖(山中湖、河口湖、西湖、本栖湖、精進湖)もまた伏流水が流れ込み、富士講信者たちは内八海巡りの一部として、ここにも巡礼し水業を行っていました。
芸術の対象としての富士山、三保の松原
富士五湖はまた富士山が湖面に映り込む「逆さ富士」の美しさで有名で、葛飾北斎の「富嶽三十六景」や歌川広重の「富士三十六景」でも描かれています。構成資産の一つ三保の松原は、7kmの海岸に約3万本の松が生い茂る景勝地で、海や空の青さと松の緑、白波が打ち寄せる海岸がまるで富士山を愛でるために配置されたかのように美しく広がります。その情景は日本最古の歌集「万葉集」ですでに称えらえ、江戸時代には三保の松原を手前にした構図でさかんに浮世絵や日本画などが描かれました。富士と芸術を巡るうえで重要な場所です。
やがてパリ万博を通じてこれらの作品が海を渡り、モネ、ルノワールら当時のヨーロッパの印象派たちに新しい表現方法という驚きを与え、芸術界に旋風を巻き起こすのです。
登山で富士山を体験
12世紀に末代上人が数百度も行って広まった富士登拝は、構成資産のひとつ大宮・村山口登山道(現富士宮口登山道)から始まりました。富士山本宮浅間大社を起点に山頂南側に至る登山道で、修験者は登拝の前に境内の涌玉池で禊を行い、山頂を目指したのです。
現在も5合目から昔とほぼ同じ道をたどることができ、傾斜が急で岩場があります。登山道には、かつて江戸からの登拝者が殺到したという富士東側の須山口登山道(現御殿場口登山道)、須走口登山道などもあります。
登拝の目的地である山頂は中央に巨大な噴火口があり、江戸時代にはこれを内院と呼んで富士山最大の聖域としていました。構成資産の一つ信仰遺跡群は奥宮のほか日本一の高さを誇る剣が峰(3776m)、久須志神社、湧き水である銀明水・金明水など見どころに溢れ、いまもなお多くの人を惹きつけてやみません。
ダイヤモンド富士
富士山の西にある田貫湖。こちらでは年に2回だけ見られる現象があります。富士の頂の中心から日が昇り、ダイヤモンドが輝いているように見えます。ダイヤモンド富士と名づけられており、 ほんの一瞬、神秘の絶景を見ることができます 。
ダイヤモンド富士が観測できるポイントは他にも、山中湖や本栖湖・竜ヶ岳などがあり、角度が異なるため見れる時期も異なります。田貫湖では4月と8月の午前6時ごろ、良ければ見ることができます。
国名 / エリア | アジア / 日本 |
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登録年 | 2013年 |
登録基準 | 文化遺産 (iii) (vi) |
備考 | ■関連サイト Fujisan, sacred place and source of artistic inspiration(UNESCO) |