賀茂別雷神社(上賀茂神社)

賀茂別雷神社(上賀茂神社)
楼門

賀茂別雷神社(上賀茂神社)の概要

賀茂別雷神社(上賀茂神社)
細殿tと立砂

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、世界文化遺産「古都京都の文化財」の構成資産の一つで、国宝2棟、重要文化財34棟を含んでいます。賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)が祭られる神社で、通称「上賀茂神社(かみがもじんじゃ)」、「上社(かみしゃ)」の名で親しまれています。

賀茂別雷神社は平安京の造営当初を知る、京都で最も古い神社の一つとされ、厄除、方除、開運、八方除、雷除、災難除、必勝、電気産業守護のご加護があります。アクセスの一例として、JR京都駅から京都市バスに乗り「上賀茂神社前」で下車すると、賀茂別雷神社に到着します。車の駐車場もありますが、旅の前には時間や料金をチェックしておきましょう。

京都 金閣寺
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賀茂別雷神社の歴史

賀茂別雷神社(上賀茂神社)
賀茂別雷神社

京都は、794年に平安京が建設されて以来1000年以上にわたり栄えた日本文化の中心地ですが、賀茂別雷神社の歴史は太古の昔、神代の時代に遡ります。山背國に移り住んだ賀茂一族の姫「賀茂玉依比売命(かもたまよりひめのみこと)」の御子神(みこがみ)である「賀茂別雷大神」が天より神として神山(こうやま)に降臨し、そこで祭りが始まったことが賀茂別雷神社の起源です。

平安時代以降、賀茂別雷神社はひどく衰退します。1628年ころに社殿が再興され、境内全体の整備が行われることで平安時代の姿が再現されました。重要文化財に指定されている34棟は、この時再建されたものであると考えられています。

再興後に本殿の造り替えが実施され、現在の本殿と権殿(ごんでん)は1863年に再建されたものです。本殿と権殿は、神社建築の様式である「流造(ながれづくり)」の典型で、国宝にも指定されています。

見どころ

境内に流れる川

賀茂別雷神社(上賀茂神社)

境内には、神山を流れる水脈と賀茂川などから分流してきた御物忌(おものい)川、御手洗(みたらし)川が流れ、その合流地点となる三角形の斜面に社殿が建てられています。雷の加護とは裏腹に、境内をめぐる小川は涼しさを感じさせ、人々の癒しの場となっています。

春は桜、初夏には豊かな新緑、秋には紅葉を見せてくれる社殿周囲の木々と合わせて、自然に満ち溢れた神社を形成しています。

社殿の御神紋

賀茂別雷神社 社殿の御神紋

賀茂別雷神社では、社殿のあちこちに葵(二葉葵)の文様が刻まれた金具の飾りを見ることができます。また、北東の杜(もり)には二葉葵が群生しています。葵は古く「あふひ」と読み、「ひ」とは神を意味します。つまり、葵とは「神と逢うこと」であり、同時に「逢う日」でもあります。

「葵を飾り祭りをせよ」との御神託があったことから、賀茂別雷神社の御神紋となったといわれています。葵は社殿を飾るだけでなく、神と人とを結ぶ草として古来大切に守られてきた植物でもあるのです。

賀茂祭(葵祭)

賀茂祭(葵祭)

賀茂祭(葵祭)は、賀茂別雷神社の年間祭典の中でも最も重要な祭儀であり、京都三大祭りの一つです。社殿に葵を飾り、祭の奉仕者が葵を身に付けるところから「葵祭」とも呼ばれるようになりました。祭は初夏(5月)に行われます。

祭の見どころは、平安絵巻をそのまま再現した馬36頭、牛4頭、500余名の行列が、下鴨、上賀茂の両神社に参向する道中の「路頭の儀」です。平安貴族の装束を身にまとった女人列は、日本の伝統的な美意識を感じさせます。

また「路頭の儀」以外にも、「賀茂競馬(かもくらべうま)」、「献茶祭」など多くの行事が開催されています。馬場にて行われる「賀茂競馬」の様子は、「徒然草」等にも書かれており、馬に乗って杜を参進する姿は壮観です。


備考 古都京都の文化財」の構成資産

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