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厳島神社の概要
厳島神社(いつくしまじんじゃ)は、広島県廿日市市の厳島(宮島)にある神社で、日本三景の1つに数えられています。古くから信仰の対象とされた弥山(みせん)を背景に、平安時代末期に活躍した平清盛によって建てられた社殿群で、1996年に世界文化遺産に登録す。
厳島神社は海と山に囲まれており、海上に立つ高さ16mの大鳥居が有名で、日本三大鳥居の1つ。また、海上に突き出すように造られた能舞台や、各社殿を繋ぐ廻廊も特徴のひとつです。
厳島神社では、祭神として天照大神(アマテラスノオオカミ)の子である市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)、田心姫命(タゴリヒメノミコト)、湍津姫命(タギツヒメノミコト)の宗像三女神(むなかたさんじょしん)が祀られており、現在でもその信仰は受け継がれています。
世界遺産登録の経緯
厳島神社が世界遺産に登録された最大の理由は、他では見る事ができない、独特の景観を持つ建造物群であることが挙げられます。古くから聖域とされた弥山の深い緑を背景に、海上に突き出す形で造られた鮮やかな朱色の社殿が広がる景観は、厳島神社独特のもの。また、原始的な社殿を現存する建造物群へと発展させた平清盛の卓越した美的センスを指し示すものとも言えます。
造営当時、平清盛は平家の守護神として厳島神社を尊崇し、平家一門の権力が増大するにつれ、厳島神社を尊崇する度合いも増していき、現在の形に発展させたと言われています。
厳島神社での必見ポイント
他では見ることができない!海の中の大鳥居
厳島神社の象徴といえる、海上にそびえ立つ朱色の大鳥居。高さ16m、横幅24mの大鳥居は、日本三大鳥居の1つに数えられ、国の重要文化財に指定されています。大鳥居は海にありますが、干潮時になると歩いて渡ることができます。
何度も倒壊と再建を繰り返した歴史が記録に残されています。 現在の大鳥居は平清盛が造営したものから8代目で、1547年の再建の際に控柱(柱が倒れるのを防ぐため、添えて立てる柱)を持つ両部鳥居の形式となりました。
なぜ海上に鳥居が建てられたのか?その理由は、厳島に対する信仰が始まりと言われています。古くから信仰の対象とされてきた厳島(宮島)は、当初社殿や鳥居はなく、対岸や海上から島自体を御神体として遥拝する対象とされていました。それが次第に、水際に社殿や大鳥居が築かれていき、通常の神社で入り口の鳥居をくぐって参拝するのと同じように、古くから対岸や海上から崇められていた厳島では、海上から拝み、立ち入るといった形になり、海上に大鳥居が建築されたと言われています。
海と山に囲まれた歴史的建造物、厳島神社・本社
平安時代の寝殿造りの様式が取り入れられている社殿は、背後の山と一体となり、優れた建築景観が見受けられます。この寝殿造りは平安時代以降、貴族の住宅様式として用いられており、神社建築に用いられることはありませんでしたが、平清盛が初めて神社建築に寝殿造を取り入れたのです。また、この建造物群は海上の大鳥居との一直線の軸状に並ぶように配置がなされています。
本社に祀られている宗像三女神は、海の神、交通運輸の神、財福の神、技芸の神として崇められています。平家は瀬戸内海において海運業者で支配力を強め、日宋貿易によって莫大な財を築いた一門であったことから、厳島神社に対する信仰心が深かったことが考えられます。
本社・能舞台などをつなぐ鮮やかな廻廊
社殿と能舞台など、各建物をつなぐ廻廊は、西側と東側に分かれて造られています。西廻廊の出口が唐破風造りであったことから、西側が入り口であったことが考えられます。また、回廊の床板に釘は一切使われておらず、それぞれの板に隙間があります。これはスリット構造と言って、潮の満ち引きや台風で、波のエネルギーを分散させ、建物を守るよう設計されているのです。
廻廊に吊るされている灯籠は、毛利氏が寄贈したのが始まりとされ、その後さまざまな人物が灯籠を寄贈しています。
厳島神社への行き方
厳島神社は広島県広島湾に浮かぶ宮島(厳島)にあります。
広島駅から「電車とフェリー」で行く、一般的なアクセス方法を紹介します。
広島駅からJR山陽本線に乗車し、宮島口駅で下車
(所要時間:約30分、費用:約410円)
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宮島口駅からフェリー乗り場(宮島口桟橋)へ
フェリー乗り場は「JRフェリー」と「松大汽船」が隣接していますが、大鳥居の近くを通るJRフェリーがおすすめです。
(所要時間:徒歩約5分)
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フェリーで宮島(宮島桟橋)へ
JRフェリーは約15分間隔で運航しており、フェリーが大鳥居の近くを通るのは9時10分~16時10分までの便です。
(所要時間:約10分、費用:片道約180円)
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宮島桟橋から厳島神社へ
(所要時間:徒歩約15分)