平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び 考古学的遺跡群

Hiraizumi - Temples, Gardens and Archaeological Sites Representing the Buddhist Pure Land

平泉

概要

「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」は、岩手県平泉町に位置する遺跡の一群の名称です。浄土思想に基づいて造られた中尊寺(ちゅうそんじ)、毛越寺(もうつうじ)、観自在王院跡(かんじざいおういんあと)、無量光院跡(むりょうこういんあと)、金鶏山(きんけいざん)という5つの寺院、庭園及び遺跡で構成されています。

「浄土思想」とは、死後に極楽浄土に生まれることを目指す仏教の考え方です。平泉には浄土思想に基づいた多くの寺院、庭園及び遺跡が良好に保存されています。それらは全て、この世に理想世界を創り出そうとしたものであり、海外からの影響を受けつつ日本独自の発展を遂げたものです。

世界遺産に登録された理由

平泉

「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」は「浄土思想」に基づき遺跡の一群がデザインされていることが高く評価されています。一群の資産は極めて良いコンディションで遺されており、その考古学的な価値も重要とされています。現世において、浄土を空間的に表現しようとした独特の事例であり、その思想は今日の平泉の民俗芸能や宗教儀礼にも確実に継承されています。

また、東アジア地域の建築・庭園に関する人類の文化交流を示す貴重な一群としても評価されています。構成資産の中でも仏堂、庭園は浄土を表現しようとした優秀な「芸術作品」としても見ることができ、世界史上で他に例の無い顕著な事例となっています。以上のような理由から、2011年に世界文化遺産として登録されました。

歴史

平泉は、11〜12世紀に日本の北方領域において栄えた政治・行政上の拠点でした。この地を治めていたのが奥州藤原氏であり、その初代が「藤原清衡」でした。当時の東北地方では戦乱が続いていたため、浄土思想を重んじた藤原清衡は「戦で命を落とした人々の魂が、敵味方の区別なく極楽浄土へ導かれるように」と祈りを込め、中尊寺を建立しました。戦乱によって父や妻子を失い、なおも争いを余儀なくされた藤原清衡の「非戦の決意」でもありました。

以後、奥州藤原氏は代を継ぎながら浄土思想を基盤にした寺院を複数造営します。構成資産の毛越寺、観自在王院、無量光院もその一部ですが、度重なる火災によって当時の姿は残されておらず、浄土庭園をメインに復元が進んでいます。また、奥州藤原氏は金鶏山を信仰の山とし、毛越寺、観自在王院、無量光院の浄土庭園から見える景色として結びつけました。

平泉の見どころ

具現化された極楽浄土「金色堂」

金色堂は藤原清衡によって造営された中尊寺にある阿弥陀堂です。堂の内外には金箔が貼られ、その煌びやかな装飾は「皆金色」と称され、訪れた人の目を奪います。柱や仏壇、長押に至るまで平安時代の技術を結集して美しく表現されているため、まるで金色堂が一つの美術作品のように感じるでしょう。

数多の金箔や宝石で装飾された金色堂は、奥州藤原氏の巨大な富を証明する一方で、藤原清衡が極楽浄土をこの世に具現化させようとした強い意志が伝わってきます。また、中尊寺には三千点以上の国宝・重要文化財が保管されているため、平泉に行ったらまず訪れておきたいスポットだと言えます。

毛越寺の広大な浄土庭園

毛越寺は堂塔40、僧坊500を有する中尊寺を上回る規模と華麗さであったと言われています。「国内に並ぶものが無いほど立派である」と評される寺院でしたが、近世までにすべての堂塔が繰り返される災禍によって消滅してしまいました。境内には浄土庭園のみがかつての姿に修復・再生されており、平安時代の遺構がほぼ完全な状態で保存されている理由も合わせ、国の特別史跡、特別名勝の二重指定を受けています。

日本最古の造園書「作庭記」に基づいて造られた浄土庭園であり、東西約180 m、南北約90 mの池泉を中心に築山(つきやま:人工的な山)や玉石を敷き詰めた州浜(すはま)、高さ2 mの立石が印象的な出島などが配置されています。池へ水を繋いでいるのが、平安時代の貴重な遺構である「遣水(やりみず:曲がりくねった水路)」で、毎年5月には遣水を舞台にして平安装束姿で和歌を詠む行事「曲水の宴(ごくすいのえん)」が催されます。

浄土庭園の最高傑作「無量光院跡」

無量光院跡は、奥州藤原氏によって造営された寺院(無量光院)の遺跡です。平等院鳳凰堂を模して建てられた阿弥陀堂と、その周囲を取り巻く池を中心に伽藍が構成されていました。火災などによって建物は焼失し、現在では発掘調査によって浄土庭園のみが復元されました。

この浄土庭園は、中の島を中心にして借景(背景を庭の一部のように見せること)に構成資産の金鶏山を見ることができる庭園です。かつては中の島、無量光院本堂が一直線に並び、西側正面に金鶏山が位置していました。西方の金鶏山に夕日が沈んでいく様子から、西方極楽浄土を体現した「浄土庭園の最高傑作」、「実体化した理想郷」と評価されています。

現在は礎石の一部が残されているのみで建築物は一切ありません。しかし、過去の理想郷を思い浮かべながら浄土庭園とともに金鶏山に落ちる夕日を眺めることで、時の無常さを感じることができるでしょう。

国名 / エリア アジア / 日本
登録年 2011年
登録基準 文化遺産 (ii) (vi)
備考 ■関連サイト
Hiraizumi – Temples, Gardens and Archaeological Sites Representing the Buddhist Pure Land(UNESCO)

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