平等院

Byodoin

平等院鳳凰堂
"byodoin hououdo" © ganden Licensed under CC BY 4.0

平等院の概要

平等院は、世界文化遺産に登録されている「古都京都の文化財」の構成資産の1つです。『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台や、10円硬貨に描かれていることで知られている平等院ですが、元は貴族の別荘の地でした。その後に極楽浄土を意識して寺院がつくられ、焼失や荒廃を経験しながらも、大切に守られてきました。桜や紅葉が見ごろの春と秋限定の夜間ライトアップも毎年行われており、日中の平等院とは異なる雰囲気が見られ、人気となっています。

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平等院の歴史

平等院

平等院のあるこの土地(宇治)は、平安時代後期から代々貴族の別荘の地でした。9世紀末、光源氏のモデル左大臣で嵯峨源氏の源融(とおる)の別荘に始まり、その後は宇治天皇、源重信の手に渡り、10世紀末には、この地は当時摂政だった藤原道長の別荘「宇治殿(うじどの)」となっていました。しかし、道長は1027年に没したため、当時関白だった藤原頼通(よりみち)は1052年に宇治殿 を寺院とし、翌年には本尊を阿弥陀如来坐像とした阿弥陀堂を建立しました。これが平等院の始まりとなっています。当時は「末法思想(お釈迦様が亡くなり世の中が乱れる)」という考えが広まっていたため、阿弥陀堂は極楽浄土をイメージしたものです。

1336年、足利軍と戦う楠木正成の放火が原因で、平等院では多くが焼失してしまう出来事が起こります。その後、15世紀末から修復が行われ、その時に浄土宗が開創されました。17世紀にはいると、阿弥陀堂は鳳凰堂と呼ばれるようになり、平等院も浄土宗の浄土院と天台宗の最勝院の両宗により管理され始めました。

その後は再び火災や荒廃が進み被害を受けてきましたが、明治時代以降定期的に修理が行われて守られてきました。そして1994年、世界文化遺産に登録されました。

見どころ

平等院鳳凰堂

平等院鳳凰堂

10円硬貨で有名な平等院鳳凰堂は、1053年に阿弥陀堂として建てられました。後に鳳凰堂と呼ばれるようになったのを理由として、鳳凰堂を正面から見ると鳥が翼を広げたように見えること、さらに屋根の上に鳳凰が添えられていることによるとされています。この鳳凰は2代目で、初代の鳳凰は平等院ミュージアム鳳翔館に展示されています。

東が正面で、鳳凰堂の目の前には極楽浄土を表現した阿字池(あじいけ)を中心に浄土式庭園が広がり、池の水面に映る鳳凰堂は必見です。水面には蓮、春は桜、秋には紅葉などが見られ、春と秋の夜間限定ライトアップとともに、四季折々の景色で幻想的な姿を楽しめます。

鳳凰堂の内部拝観は有料ですが、国宝である本尊の阿弥陀如来坐像を近くで見学できます。現在では剥落してしまっている部分が多くありますが、堂内の扉や壁には壁扉画が描かれ、柱や天井などには彩色が施されているのが確認できます。

平等院ミュージアム鳳翔館

平等院ミュージアム鳳翔館へは、鳳凰堂の庭園の拝観料で入館できるため、鳳凰堂とセットで見ておきたいところです。

鳳翔館の始まりは1965年ですが、2001年に新たにリニューアルされました。館内は平等院鳳凰堂に関する国宝の仏像・梵鐘・扉絵などが数多く展示され、さらにはコンピューターグラフィックスによる再現映像も用いられていて、出土品だけではなく映像も楽しめます。

美術館の特徴は、空間と照明の使い方です。国内最大級のガラスウォールケースによる展示やLED照明の使用で光と影が操られることにより、展示物の存在感や美しさがさらに引き出されています。

梵鐘

梵鐘(ぼんしょう)とは、鐘楼に吊り下げてつき鳴らす釣鐘(つりがね)のことで、一般には除夜の鐘で知られています。 平等院の梵鐘は形が美しいことから、神護寺、三井寺の梵鐘と共に日本三名鐘の1つとされています。鐘に飛天、鳳凰、獅子といった細かい絵が刻まれているのを確認できます。現在吊るされている鐘は複製された2代目であり、オリジナルは平等院ミュージアム鳳翔館で見ることができます。


登録基準 (ii) (iv)
備考 関連情報:「古都京都の文化財」の構成資産
公式サイト:平等院

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