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アグリジェントの遺跡地域とは
アグリジェントの考古的地域は、イタリアのシチリア島南部のアグリジェントという都市にある世界遺産です。アグリジェントは、紀元前6世紀から、ギリシャの植民地として、古代の地中海における重要な都市の1つでした。
そこにある神殿の遺跡群が、1997年に「アグリジェントの考古的地域」という名称で世界遺産に登録されました。
アグリジェントには、パルテノン神殿と同様の古代ギリシャの建築様式の1つであるドーリア式の神殿がいくつも建てられ、地中海におけるギリシャの覇権をあらわしていました。
20近くの遺跡群があり、とくにアーモンドの木や果樹園が大きく広がる丘には、「神殿の谷」と呼ばれる神殿の遺跡群があり、シチリア島を代表する観光名所でもあります。
歴史
アグリジェントは、シチリア最後のギリシャ植民地のひとつでした。当時は、ギリシャ語で「アクラガス」と呼ばれました。
紀元前480年ごろ、有名な哲学者のひとりであるエンペドクレスがこの場所で暮らし、多くの著作を残したことでも知られています。詩人のピンタグロスは、アグリジェントを「人間の都市のうちで一番、美しい」とまで言い残しました。
紀元前210年には、今度はローマの勢力下に置かれると、「アグリゲントゥム」と呼ばれるようになりますが、シチリア全域が交易の主流から外れ、徐々に衰退していきます。
828年にはイスラム勢力が侵入、今度はジルジェンティと呼ばれます。しかし、また人口が増え始め、現在でも路地や庭園などにイスラム風の模様や装飾が残されています。
その後は、ノルマン人による征服やホーエンシュタウフェン朝の支配を経て、シチリアにおけるイスラム教の中心地となり、北アフリカとの貿易も行われて繁栄するとことになりますが、その後、交易はまた衰退し、街は数百年の間、さらに停滞期をむかえます。
しかし18世紀に経済が復興、1927年にかつてのイタリア語風の「アグリジェント」に町の名称が戻され、現在にいたります。
カルタゴ人の侵攻や自然災害、風化などにより、神殿のほとんどは崩壊していますが、考古学者ドメニコ・アントニオ・ロ・ファゾ・ピエトラザンタ(1783~1863)が発掘調査を行い、その一部が復元されることになります。
現在は考古学公園として整備され、多くの観光客が訪れています。
世界遺産登録の経緯
非常に歴史的価値が高く、保存状態も良好で、アクリジェントを代表するコンコルディア神殿が、アテネにあるテセイオン神殿、ナポリのヘラ神殿とともに、「3大古代ギリシャ神殿」ともいわれるほどです。
またアグリジェントは、かつて古代ギリシャの植民地都市として栄え、神殿の谷の遺跡群は、その当時に建造されたものです。そのいずれもが、威厳をもち、当時の芸術様式や建築技術を知るうえでも貴重な遺跡資料であるということから、1997年に世界遺産に登録されました。
当時は、要塞としての側面も持ち、遺跡は海を見渡せる高台の上に存在しています。
みどころ
神殿の谷
アグリジェントの市街地から2kmのところに位置します。市街地にある駅から路線バスで、10分ほどで行くことができます。神殿の谷には9つの入場口がありますが、そのうちの3カ所が一般的に観光客に開放されています。
この神殿の谷には、7つの遺跡があります。
ユーノー神殿(ヘラ神殿)
ユーノー神殿とは、神殿の谷の東、標高120mの丘の上に建つ神殿です。
ユーノーは、ギリシャ神話に出てくる最高位の女神の名前で、結婚や出産を司る。ユーノー神殿は当時、結婚の祝宴の場として使用されていたとされています。ギリシャ神話のヘーラーと同一視されており、ヘラ神殿とも呼ばれています。
紀元前5世紀に建てられましたが、紀元前406年にはカルタゴ人が侵入し、火を放ちました。また中世に起きた地震の被害で全壊し、現在は25本の柱と、柱の上の一部が残されています。
コンコルディア神殿
平和の女神コンコルディアを祀る、シチリアで最大の神殿です。こちらも紀元前5世紀に建造され、紀元前6世紀ごろからはキリスト教の聖堂として利用されるようになりました。神殿群のなかでは、保存状態が一番良い形で残されています。
ヘラクレス神殿
ヘラクレスは、古代のアグリジェントでとくに崇拝された神のひとつであり、神殿の谷のなかでは一番歴史が古い神殿です。しかし、地震で崩壊してしまい、現在では8本の円柱が残るのみです。
ジョーヴェ・オリンピコ(ジュピター)神殿
天空の神ゼウスを祀るために建てられた神殿です。紀元前480年にカルタゴに勝利したことを記念に建てられました。 もともとの大きさは幅55m、奥行き116mという巨大なものでしたが、地震により崩れてしまい、現在は巨大な岩塊が積み重なっている状態で残されています。
ディオスクロイ神殿(カストル・ポリュデウケス神殿)
ディオスクロイとは、ギリシャ神話に登場する双子の兄弟であるカトルとポリュデウケスのことで、神殿名も「カストル・ポリュデウケス神殿」と呼ぶこともあります。
紀元前5世紀ごろに建てられたとされていますが、カルタゴの侵攻により破壊されました。現在は、19世紀に復元された4本の柱と天井の一部のみが残されている状態ですが、アグリジェントの象徴ともいえる遺跡です。
ウルカヌス神殿
ウルカヌスとはローマ神話における火の神で、英語読みでは「ヴァルカン」といいます。 かつては、神殿谷のなかでもっとも美しい神殿だったとされていますが、浸食による破壊で、現在はほとんど原型をとどめていません。
アスクレピオス神殿
アスクレピオスとは、病気気の治癒を祈願されたギリシャ神話の名医の名前です。その名称と同様に、古代では病気の治癒を求める巡礼者たちが、多く訪れる場所でした。
州立考古学博物館
アグリジェント市内からバスで訪れることができる観光スポットです。おもに神殿の谷などで発掘された貴重な展示物が、公開されています。
一番見ておきたいのは、高さ7mもの巨大な人柱像である、「テラモーネ」です。保存状態が極めてよく、実際に発掘されたものが展示されてあり、貴重な展示物です。
国名 / エリア | イタリア / ヨーロッパ |
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登録年 | 1997 |
登録基準 | 文化遺産 (i) (ii) (iii) (iv) |
備考 | ■関連サイト Archaeological Area of Agrigento(UNESCO) |