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概要
「マプングブエの文化的景観」 とは、南アフリカ共和国北部のリンポポ州に位置する世界遺産です。アフリカ大陸初の王国である「マプングブエ王国」の遺跡が残されており、2003年に世界遺産に登録されました。
遺跡を構成する、高さ30m、長さは300mにも及ぶ巨大な丘である「マプングブエの丘」には、象牙や金などの、数々の王国の遺跡が残されています。
現在は、マプングブエ国立公園として管理されています。アフリカにある世界遺産の中では、比較的アクセスしやすい場所に位置しているので、訪問しやすいでしょう。
歴史
マプングブエの文化的景観をめぐる歴史は、非常にユニークで映画さながらです。
1932年ごろ、この地域で昔から幾度となく流れる「この地に金が埋まっている」という真偽不明の噂を聞いた1人のトレジャーハンターが探索した結果、遺跡が発見されたのです。
マプングブエは、隣国のボツワナとジンバブエと国境を接するシャシ川とリンポポ川との合流地点に位置しています。この場所から、11世紀から13世紀にかけての集落や都市の遺跡が発見されました。
この地に人々が定住し始めたのは、西暦1000年ごろであると考えられています。当初は、岩山の山麓に村がつくられ、1220年ごろに山上に都市が形成されました。この都市がマプングブエの首都とみられ、最盛期ごろには、3000人〜5000人ほどが暮らしていたと推定されています。
丘の上に住んでいたのは王族や貴族階級で、一般の市民は山麓に居住していました。象牙や動物の骨を加工した製品や黄金の装飾品などの工芸品が見つかっており、高度な技術を持っていたことがうかがえます。
一方で、アラブやインド、中国から輸入されたガラス玉や磁器、あるいは象牙や金などが輸出され、それらの遺跡が残されていることから、かなり広範囲にわたる貿易を行っていた交易都市として栄えていたことが分かっています。
その後、14世紀末に、急激な気候変動が起こり、寒冷化や干ばつで住めなくなり、この土地が放棄され、王国が滅びたとされます。しかし、その歴史を伝える文字が一切残されていなかったため、詳細は不明なままでした。
王国の崩壊後、多くの財宝は失われてしまいましたが、大学の考古学者たちは、財宝はまだ残っていると考え、発掘調査を続けました。その結果、座った姿勢や胎児のように丸まった姿勢で横たわる人骨とともに、近くに添えられたビーズや象牙や金、動物の骨、壺などを発見しました。
また丘の上からは、遺体とともに大量の金が見つかったことから、それらは王族のものである可能性が高いと推察できます。
発掘物を展示している博物館があり、見学することができます。とくに貴重な、最も純度の高い金の加工物であるサイの小さなフィギアは、現在、南アフリカ国内のプレトリア大学で、厳重に保管されています。
世界遺産登録の経緯
マプングブエの文化的景観の中心となるのが、高さ30mのマプングブエの丘です。この丘が首都として繁栄しました。
その期間は、1220年から1300年までのわずか80年間にすぎませんが、丘の上では石に囲まれた居住地域や墓地などが発見されています。その中の3つの墓からは、遺体とともに金やガラスピースなどの大量の装飾品が発見されています。
これは明らかに、身分の高い指導者の墓であり、このような階層的な分離が起こっていたことはアフリカの先史時代においては初めのことであり、歴史的・文化的価値も非常に高い遺跡です。
またマプングブエは、アフリカ史の歴史上、重要な遺跡も残っています。マプングブエが、南アフリカを代表する世界遺産である「グレート・ジンバブエ」の起源であることを示唆する出土品も見つかっていて、世界中の研究者から注目を集めている遺跡でもあります。
『マプングブエ、南アフリカの王冠と宝石』という本の著者であるシアン・ティレーは、「マプングブエで発見されたビーズは、インド、エジプト、東南アジア、中東で作られたものである」と語っています。これは、今日の国際貿易にも劣らないような、大規模な交易ネットワークがこの地で展開されていたことを物語っています。
マプングブエが発掘された場所からは、当時、すでに中東やアジアと貿易を行なっていたことがわかっています。都市が滅んだ後、1932年に再発見されるまで700年近く手付かずのまま放置されていたため、遺跡は良好な状態で残されていました。その保存状態の良さと、文化的景観の良さから、2003年に世界遺産に登録されました。
マプングブエの繁栄は100年も続かず、1300年ごろには滅びたとされます。記録も一切存在しないため、謎に包まれた遺跡ですが、アフリカの歴史を語るうえで、非常に重要な都市遺跡であることは、まちがいないでしょう。
ほとんど手つかずで残されている宮殿の遺跡や集落、2つの古代首都の跡地が現存し、13世紀ごろのアフリカ大陸最強の王国の姿を見ることができます。
ヨーロッパ諸国においてほぼ全ての土地を分割・植民地化され、白人たちから「歴史のない大陸」と呼ばれたアフリカにおいて、あるいは、まだ黒人差別が激しかった南アフリカ国内でも、マプングブエの文化的景観の遺跡は軽視され、一時期までは公表すらされませんでした。このような黒人差別の負の歴史も含めて、非常に歴史的意義のある貴重な遺跡です。
必見ポイント
マプングブエ国立公園
マプングブエの文化的景観は、マプングブエ国立公園内に位置しています。
国立公園には文化遺産に他にも、樹齢が1000年を超えるパオパブの木、あるいはゾウやキリン、シロサイなどの野生動物と、400種類の野鳥が生息する豊かな生態系が形成されており、アフリカらしい壮大な大自然を体感できることができます。
園内は自分で車を運転して散策することもできますが、日程に余裕があれば、周辺のロッジやキャンプに宿泊して本格的なサファリやナイトドライブ、ウォーキングツアーに参加することも良いでしょう。また、野生動物や野鳥、植物などについての知識をガイドが丁寧に解説してくれます。
インタープリテーション・センター
国立公園入口には、国立公園事務所と博物館を兼ねたマプングブエ・インタープリテーション・センターがあります。
博物館内部には、マプングブエの発掘品が展示されているほか、国立公園内に生息する野生動物に関する展示や、生態系に関する記述が書かれた展示が行われています。
砂漠に住む狩猟採集民族であるサン族が岩に書いた絵や、発掘された恐竜の骨、足跡などが展示されています。とくにマプングブエの象徴である黄金のサイの像は必見です。
マプングブエの丘
1933年から本格的な発掘調査が開始され、丘の上だけでなく、周辺からも住居跡や遺跡群が発見されました。そこからは、西暦450年ごろの初期鉄器時代の住居跡が見つかっており、その時代から農耕民族がこの地で暮らしていたことが分かっています。
さらに、現在はK2と呼ばれる丘の間に平地にある集落遺跡には、1000年から1220年ごろまで人々が暮らしていたとされ、約100の墓と矢、ヤリ、クワなどの道具や腕輪、ビーズ、ワイヤーなどの金属加工品、動物の骨などが見つかっています。
マプングブエの丘へは、国立公園のツアーに参加して訪れることができます。ツアーは、国立公園事務所で申し込むことができ、専用車で向かいます。
マプングブエの丘で発掘された多くの品々は、現在はマプングブエ国立公園のインタープリテーション・センターとプレトリア大学博物館で見ることができます。
ツリートップ・ウォーク
ツリートップ・ウォークは、リンポポ川沿いの景色を眺めながら散策できる場所です。木の間を歩くように、少し高い場所に設置されているので、鳥の目線となって大自然を楽しむことができます。
国名 / エリア | アフリカ / 南アフリカ |
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登録年 | 2003年 |
登録基準 | 文化遺産 (ii) (iii) (iv) (v) |
備考 | ■関連サイト Mapungubwe Cultural Landscape(UNESCO) |