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概要
イタリアの北部に位置するヴェネツィアは、ヴェネツィアとその潟として世界遺産に登録されています。海上貿易の中継地として発展し、「アドリア海の女王」と言われるようになりました。ヴェネツィアでは自動車の通行は禁止されていて、徒歩か船での移動となります。船から見るヴェネツィアの中世の街並みは、ヴェネツィア観光では必見ともいえるでしょう。
歴史
ヴェネツィアの歴史は、5~6世紀に湾の周辺に暮らしていたウェネティ人が、ゲルマン人から逃れて葦の生い茂るこの湿地(ラグーナ:潟)に逃げてきたことから始まっています。彼らは、外から持ってきた硬い丸太を土台の上に、石を積み上げて街を創り上げました。大運河のカナル・グランデを中心に、多くの小さな運河が流れていて、これらの運河はもともとのラグーナの自然がそのまま生かされています。
ヴェネツィアは元々東ローマ帝国の支配下でしたが、実質的には護民官たちを中心に自治権を持っていました。後に国となったヴェネツィア共和国は、697年に初代総督が選出され、共和制統治が始まったことが起源となっています。
その後のヴェネツィア共和国は、イスラムや近隣国(ハンガリー)からの侵略がありつつも撃退し、貿易地として活躍しました。11世紀には、弱体化した東ローマ帝国のアドリア海沿岸の海上防衛を担うことになり、その結果、帝国内での貿易特権を得ることができました。ヴェネツィアを東地中海最強の海軍国家とさせた出来事は、1204年に起こります。第4回十字軍と共に、東ローマ帝国の首都であったコンスタンティノープルを侵略し、これにより海外領土を得て国の規模を拡大させました。
このようにしてヨーロッパ最大の海軍国家として繁栄しましたが、15世紀にオスマン帝国が進出してきたことによりその最盛期も終わりへと向かいます。ナポレオン・ボナパルトが侵略してきた1797年に、ヴェネツィア共和国は崩壊の道へと歩んでいきました。その後はオーストリアやイタリアの支配下になりましたが、最終的には1866年の普墺戦争でイタリアに編入されることになりました。ヨーロッパの歴史と文化に影響を与えてきたその価値が認められ、1987年に世界遺産に登録されました。
世界遺産登録の経緯
ヴェネツィアとその潟が世界遺産に登録された理由には、ヴェネツィアが歴史的にも芸術的にも影響を与えてきたからです。ヴェネツィアは118の島々の上で造られ発展し、美しい景色に刺激を受けた画家を多く生み出しました。他のヨーロッパやエジプトの建築物にも影響を与えたヴェネツィアは、東と西、イスラムとキリストの世界を結ぶ証拠を物語っています。
また、ヴェネツィア共和国時代の権力の強さを証明するような大聖堂や慈善施設なども、中世を代表する建築として知られています。
必見ポイント
サン・マルコ大聖堂
サン・マルコ大聖堂は、福音書著者聖マルコに捧げられています。聖マルコの遺骸がエジプトアレクサンドリアにあり、それがムスリムに奪われてしまう恐れがあったため、828年に奪い取りヴェネツィアへと運ばれました。これ以降ヴェネツィアの守護聖人は聖マルコとされるようになります。最初の教会は別の場所に建てられましたが、976年の反乱により焼失してしまいました。現在の聖堂は、1063年から起工され1090年に完成し、その後も何度も改修を受けています。
サン・マルコ大聖堂は、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルにあった聖使徒聖堂を模しているとされ、ギリシャ十字と5つのドームからなるビザンティン建築となっています。正面にある4頭の馬像は、もともとコンスタンティノープルにあったものが陥落したことによりヴェネツィアに運び込まれました。
ヴェネツィア共和国時代のサン・マルコ大聖堂は、司教座聖堂(ドゥオーモ)ではなく、共和国総督(ドージェ)の礼拝堂でした。最終的に大司教座がサン・マルコ聖堂に移されたのは、1807年にナポレオンの命によるものでした。
ドゥカーレ宮殿
ドゥカーレ宮殿の意味は総督や〇〇公の宮殿を意味し、この宮殿は7世紀末から18世紀末までヴェネツィア共和国の総督邸兼政庁として使われました。サン・マルコ大聖堂に隣接する敷地に建ち、住宅、行政府、立法府、司法府、刑務所としての役割もありました。
対岸にある牢獄とは「ため息橋(投獄前の囚人たちが、ヴェネツィアの景色を見るのがこの橋で最後になるためため息をついたといわれている)」で結ばれています。外観はゴシック風のアーチで、イスラムの文化からも影響を受けたとされている装飾も施されています。
このドゥカーレ宮殿には「SECRET ITINERARIES TOUR」という1時間15分のガイド付きのツアーもあり、英語、フランス語、イタリア語で行なわれています。当時使われた牢獄、執務室、拷問部屋などの見学ができます。ドゥカーレ宮殿は入場するまでに長時間並ぶ場合もありますが、ツアーに参加すればツアー後は並ばずに自由参観ができます。
リアルト橋
リアルト橋の別名は白い巨象で、ヴェネツィアを流れる川カナル・グランデにかかる4つの橋の内の1つです。長さ48m、幅22m、水面からの高さは7.5mとなっています。海抜が高いため、自然と人が集まり周りに集落が形成され、商業の中心地となりました。
初期は木製の跳ね橋でしたが、火災や耐久性の問題から、16世紀に石造りの橋へと生まれ変わりました。現在、橋の上にはアーケードが作られ、商店が立ち並んでいます。
国名 / エリア | イタリア / ヨーロッパ |
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登録年 | 1987年 |
登録基準 | 文化遺産 (i) (ii) (iii) (iv) (v) (vi) |
備考 | ■関連サイト Venice and its Lagoon(UNESCO) |