石窟庵と仏国寺

Seokguram Grotto and Bulguksa Temple

石窟庵と仏国寺
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石窟庵と仏国寺の概要

「石窟庵と仏国寺(ソックラムとプルグクサ)」は、大韓民国の慶尚北道慶州市郊外にある仏教遺跡です。
朝鮮半島を最初に統一した新羅の国で、宰相の金大城が751年、建立を始めました。金大城が亡くなった後も、国家で事業が継続し、774年に完成しました。金大城は石窟庵を前世の父母の為に、仏国寺を現生の父母の為に建立したといわれています。

石窟はインドや中国で見られるように岩盤を掘りぬいて構築したのではなく、作り上げた部材を組み上げて構築したものです。前室は奥行4.8m、幅6.8mの長方形で、主室は直径7.2mの円形、天井は円くドームを呈しており、前方後円墳の様式です。主室ドーム天井近くには、本尊である高さ3.45mの如来像が安置されており、新羅仏教芸術の最高傑作とも呼ばれています。制作者については謎が多く残されています。石窟庵は東向きに作られており、日の出や月の出の名所となっています。

仏国寺は、完成当時は80棟余りの建物があり、仏教の経典、「法華経」に基づいて作られた釈迦の国を再現したものです。伽藍は盧舎殿、極楽殿、大雄殿の3区域に分かれ、それぞれが仏教浄土を地上に具現化しています。それぞれのエリアには、蓮華橋・七宝橋と青雲橋・白雲橋で下界と結んでいます。

世界遺産登録の経緯

仏国寺
photo by adam nicholson

石窟庵と仏国寺を作った新羅の時代は、仏教は厚く保護されました。新羅に続いて朝鮮半島を支配した高句麗王朝(918年~1392年)もまた、仏教が保護された時代でした。ところがその後朝鮮半島を支配した、李氏朝鮮時代(1392年~1910年)、儒教が国教となり、仏教にとっては冬の時代が訪れたのです。李氏朝鮮時代の弾圧により、寺院の多くは破壊され、石窟庵、仏国寺もまた、放置され荒廃していきました。

そうして長い間忘れられていた石窟庵ですが、1909年、山を越えようとした郵便配達員に発見されました。豪雨に見舞われ山中の洞窟に逃げ込んだところ、偶然仏像を見つけたのです。石窟庵は、崩壊寸前で、天井が抜け落ちており、仏像も半分以上が土に埋もれていたといわれています。

その後補修が行われ、石窟庵、仏国寺はそれぞれ韓国の国宝として指定されました。そして1995年、人類の創造的才能を表す傑作であり、歴史上重要な時代を立証する建築様式、建築物群として、ユネスコによって世界文化遺産に登録されたのです。

観光のポイント

仏国寺 多宝塔
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石窟庵は修復作業後、人工的に保存管理されるようになり、ガラス越しに内部が見られるようになりました。仏国寺は、完成当時は80棟余りの建物があったとされていますが、1592年の文禄の役で建物は消失し、現在見る事ができるものは1972年に伽藍全体を復元工事したものです。伽藍東区の釈迦棟及び多宝塔、灯篭及び石造りの青雲橋・白雲橋、築台などだけが創建当初のものといわれています。

釈迦如来像

阿閦如来座像
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釈迦如来像は東の海に向かって設置されており、また、ちょうど夏至と冬至の朝日が当たるようにも設計されており、額に埋め込まれた宝石が、差し込む朝日に美しく輝き、厳かな雰囲気になります。「新羅人の微笑み」とも呼ばれています。

無垢浄光大陀羅尼経

仏国寺釈迦棟からは現存する世界最古の印刷物とされる無垢浄光大陀羅尼経が発見されました。

海印寺

海印寺は新羅時代に二人の僧によって建立されました。貴重な資料もたくさん保管されており、韓国の「三宝寺刹」の一つといわれています。


国名 / エリア アジア / 大韓民国
登録年 1995
登録基準 文化遺産 (i) (iv)
備考 ■関連サイト
Seokguram Grotto and Bulguksa Temple(UNESCO)

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