ペトラ

Petra

ペトラ

ペトラはヨルダンの首都アンマン南東に位置する、巨大な遺跡群です。紀元前2世紀頃、ナバタイ人が自然の岩山を掘りぬいてつくったナバテア王国の首都。世界一美しいと称された宝物殿のエル・カズネや、エド・ディル修道院があります。ペトラとはギリシャ語で「崖」という意味で、ナバタイ人が自然の岩山を掘りぬき、都をつくりました。

遺跡の入口から中心に向かう道は「シーク」という峡谷の細道で、かつては運河でした。約1.2㎞のシークを抜けるとエル・カズネにたどり着きます。ローマ円形劇場や凱旋門、墓地群などもみられます。

1985年にヨルダン国内で初めて世界遺産に登録されました。

歴史

紀元前6世紀ごろ、遊牧民のナバタイ人がアラビア半島からペトラへ移動し、居住したことからペトラの歴史が始まります。ペトラは紅海と死海の中間に位置し、ヘレニズム時代からローマ時代には、アラビアのお香や中国の絹、インドのスパイスなどの隊商の中心となりました。これによりアラビアやエジプトなどを繋ぐ中継都市(貿易都市)として発展します。

しかし、363年5月18日~19日にガリラヤ地震が起こり、ペトラは大きな被害を被りました。7世紀にイスラム帝国によって征服され、貿易の中継路からペトラが外れたことにより衰退。その後、廃墟となっていたペトラですが、1812年にスイスの旅行家ヨハン・ルードヴィヒ・ブルクハルトが、ダマスカスからカイロへ行く途中にペトラ遺跡を再発見し、世界に伝えたことによって今に至ります。ペトラは電動車両の乗り入れが禁止されており、今でも馬車やロバが交通手段として使われています。

見どころ

シーク

ペトラ シーク

ペトラ遺跡の東側には、ワディ・ムーサという街があります。そこから遺跡に向かって進むと遺跡の入り口であるメインゲートがあり、メインゲートからペトラ遺跡に向かうまでの細道を「シーク」といいます。シークは地質断層であり、地殻運動による水の浸食などによって作られた岩の裂け目です。道の幅は約3mで高さは60~100mあり、1.2kmの砂利道が遺跡まで続きます。

シークの途中には、ローマ時代にナバテア人によって造られたダムがあり、かつてはワディ・ムーサへ水を供給していました。水路として使われていた土管は、ペトラ考古学博物館に展示されているので、一緒に訪れてみてはいかがでしょうか。

エル・カズネ

ペトラ エル・カズネ

ペトラ遺跡を代表する建築物で、崖を掘り抜き造られています。アラビア語で宝物殿を意味し、建物の最上部にある壺の中に宝物が隠れていると信じられていたことから、この名前が付けられました。天井を支えている6本の柱は、発見された当時、1本が折れている状態であったため修復されて今の形となっています。

ペトラ遺跡では毎週月・水・木の週3回、1500本のロウソクでライトアップされるペトラ・バイ・ナイトという夜間のイベントがあります。11歳以上は17JD(ヨルダン・ディナール)かかりますが、幻想的な古代遺跡を体験できるので参加がおすすめです。

エド・ディル

ペトラ エド・ディル

エド・ディルはペドラ遺跡の一番奥にある遺跡で、高さ45m、幅50mある、ペトラで最も大きい建造物です。エル・ハズネ(宝物殿)から奥へ進むと山道があります。エド・ディルは標高1,000mにあり、900段以上の階段を登り切るとエド・ディルが現れます。

ナバテア王国の先代の王であったオボダス2世を祀るため、最後の王であるラベル2世が建設したと言われています。その後、ビサンチン時代にキリスト教の修道士らが住んでいたため、修道院を意味する「ディル」という名前が付けられましたが、ナバタイ人の神殿だったことが分かっています。

国名 / エリア アジア / ヨルダン
登録年 1985年
登録基準 文化遺産 (i) (iii) (iv)
備考 ■関連サイト
Petra(UNESCO)

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