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パルミラ遺跡の概要
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パルミラ遺跡はシリア中央部のホムス県タドモルにあるローマ帝国時代の都市遺跡です。1980年に世界遺産に登録されました。
パルミラという街は広大な砂漠の中心に建設されたオアシス都市で、ナツメヤシの緑に囲まれる美しい町です。世界でもっとも美しい廃墟の1つとうたわれるこの都市は、別名「バラの街」と呼ばれています。
地元では「ダドムール」と呼ばれるパルミラの街は、古代世界の重要な文化の中心都市で、ギリシャ・ローマ様式に地元の伝統やペルシャ文化が合わさった文化材や建築が残ります。
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具体的には、大規模な遺構や1000以上の支柱、500以上の墓を擁する共同墓地があり、1世紀から2世紀に建設されたパルミラの主神を祭るベル神殿、2世紀に建てられた雨を祀るバール・シャミン神殿、四面門は特に有名です。
更に古い紀元前3世紀ごろの塔墓や地下墳墓が発見されています。
15世紀に築かれたアラブ城砦からは夕陽に染まった美しきパルミラの街が一望でき、当時の人々の思いにはせることができます。
シリア内戦の前には毎年15万人もの観光客が訪れた街でしたが、IS占拠後は文化財の多くが破壊され、大きな被害を受けています。
パルミラ遺跡の歴史
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紀元前1世紀にローマ帝国の属州となったパルミラ。しかし自治権を与えられ、東西交易路の中継地として発展していきました。
3世紀後半になりローマ帝国が混乱に陥ると、女王ゼノビアが勢力を上げシリア・エジプトまで制圧していきました。彼女はパルミラのローマ帝国からの独立を目指していたのです。
そして267年にはローマ帝国より事実上独立を果たした国家としてパルミラ帝国とまで呼ばれるようになりました。しかし、270年にアウレリアスがローマ皇帝になると事態は一変し、ローマ帝国の大群に制圧されてしまいました。
結果女王ゼノビアは捕虜として捕らえられ、ローマ帝国に連行されたのでした。
パルミラ遺跡とIS
2015年5月過激派組織「イスラム国」(IS)がシリア軍を襲撃し、遺跡を勢力下に置くと、遺跡の破壊が始まりました。歴史的遺産が破壊された理由としては、偶像崇拝禁止の信仰心だけではなく、貴金属の密売による資金獲得が目的とされています。
8月にはバール・シャミン神殿とベル神殿が相次いで破壊され、9月には古代パルミラ人の遺骨を埋めた塔墓、10月には記念門が破壊されました。
2016年3月に政府が奪還しますが、12月に再度占領され、再び政府が支配権を取り戻した時には四面門や劇場の一部も破壊されていました。
必見ポイント
ベル神殿
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古代セム人の主神であったバールを祀った神殿。
神殿は東西210m南北205mの正方形の形をしており、中央に位置する本殿では様々な神が祀られていました。
列柱道路
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古代パルミラのメインストリートです。
全長1.2㎞にわたり、当時の栄華を今に伝えています。