ディヴリーイの大モスクと病院

Great Mosque and Hospital of Divriği

ディヴリーイの大モスクと病院

概要

ディヴリーイの大モスクと病院
Photo by Panegyrics of Granovetter, on Flickr

「ディヴリーイの大モスクと病院」とはトルコの複合施設(キュリエ)であり、モスクや病院、霊廟(れいびょう)によって構成されています。大モスク(ウル・ジャーミィ)は石造の建築で、オスマン帝国時代にイラン東部を支配していたスレイマン・シャーの息子、アフメッド・シャーの命令によって建造が進められました。

病院は「ダリッシュシファ」といい大モスクの南側に隣接。大モスクと同様に石造の建築です。「エルズィンジャン」という都市を支配していたファフレッディン・べフラム・シャーの娘で、アフメッド・シャーの妻メリケ・トゥラン・メレキの発願により、大モスクとともに1228年に建築家のヒュッレム・シャーによって設計され、1243年に完成。精神病院として精神を患った患者の治療を行なっていました。

ディヴリーイの大モスクと病院は、建築物としてトルコで初めて世界文化遺産に登録。「イスタンブール歴史地区」「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟郡」とともに1985年にトルコで初めて世界遺産へ登録されました。

ディヴリーイの大モスクと病院の歴史

ディヴリーイのモスク

ディヴリーイはトルコのアジア部分に位置する半島に存在しています。この半島を「アナトリア」といいアナトリアの中央部に位置するシバス県にある古都です。ビザンツ帝国時代には「テフリケ」と呼ばれていました。

1071年にマラズギルトの戦いでセルジューク朝がビザンツ帝国を破り、トルコ人の地方政権としてルーム・セルジューク朝が誕生します。12〜13世紀のルーム・セルジューク朝時代にディヴリーイの町は繁栄。その時代に大モスクと病院はディヴリーイの小高い丘の上に建設されます。

先に建設が始まったのは、大モスク(ウル・ジャーミィ)です。ウルとは「偉大な」という意味があり、ジャーミィはアラビア語で「人の集まる場所」、トルコ語では「モスク」を意味します。同時期にダリッシュシファという精神病院の建設が始まります。大モスクと病院は同一の建築家ヒュッレム・シャーに依頼され、2つの建物は外壁を一体化して建てられました。

構成要素

モスクと2階建ての病院からなり、墓も一体となった複合施設です。ここには大モスクと病院の建造を命じたアフメッド・シャーと妻のメリケ・トゥラン・メレキ、そして家族も眠っています。

病院の中央には小さな池がありその周りを囲むように病室が設置され、水の流れる音を治療に用いていました。イスラム建築であるが中庭が存在せず非常に珍しい設計となっています。

見どころ

3つの扉

大モスクへの入り口として3つの扉があり、それぞれ「西の扉」「北の扉」「東の扉」と呼ばれています。

西の扉、別名「テキスタイルの扉」は繊細な石細工が施され、チューリップをモチーフとしています。チューリップはアッラー(神)を象徴するからだと考えられています。北の扉は「天国の扉」とも呼ばれ、天国をモチーフにして作られており3つの扉で最も豪華な作りです。東の扉は君主が祈りを捧げるためにモスクに入る際に使われていたことから「君主の扉」という別名が付けられました。

全ての門は植物模様や幾何学模様などのイスラム建築様式が用いられていますが、バロック建築様式を用いた石細工が施されていたり、アナトリアの伝統的なセルジューク建築をも融合されていたりするなど非常に珍しい建築物となっています。

国名 / エリア アジア / トルコ
登録年 1985年
登録基準 文化遺産 (i) (iv)
備考 ■関連サイト
Great Mosque and Hospital of Divriği(UNESCO)

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