ドナウ河岸、ブダ城地区及びアンドラーシ通りを含むブダペスト

Budapest, including the Banks of the Danube, the Buda Castle Quarter and Andrássy Avenue

ブダ城、ドナウ川 の夜景

概要

「ドナウ河岸、ブダ城地区及びアンドラーシ通りを含むブダペスト」は、ハンガリー共和国の首都ブダペストに位置する、ドナウの真珠と讃えられる美しい都市です。ドナウ川両岸の歴史地区と、地下鉄が通るアンドラーシ通りの美しい街並みが評価されています。

1987年、ユネスコの世界文化遺産に登録され、ハンガリーで初めての世界遺産になりました。その後2002年に拡大登録が行われ、現在の名称となりました。

世界遺産登録の経緯

ブダペスト

ハンガリーは1000年に騎馬民族マジャール人によって建国されました。初めはペスト地域を中心に発展していましたが、1241年から1242年にかけてモンゴル帝国の侵攻を受けた後、防御のためにブダの丘上に砦として造ったブダ城を造り、カトリック聖堂であるマーチャーシュ聖堂の建設など、ルネサンス文化を取り入れブダ地域が発展していきました。

しかし16世紀にはオスマン帝国により占領され、聖堂はモスクに転用され、ブダ城は火薬庫として使われ大きな損傷を受けました。

17世紀には神聖ローマ帝国の領地に組み入れられましたが、その後、神聖ローマ帝国から受け継ぐオーストリア・ハンガリー帝国によって、ハンガリーに自治権が認められるようになりました。1872年、ブダ、オーブダ、ペストの三地区が統合し、現在のブダペストとなったのです。

この頃からハンガリー人は民族意識に目覚め、1986年の建国1千年祭に向けて建築物の改築や新築などが行われました。国会議事堂やステンドグラスを用いた商業施設、ヨーロッパで初めての地下鉄であるアンドラーシ通りの建設、英雄広場の整備など、文化的価値のある街並みへと整備されていきました。

「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城地区」は、ローマ建築やゴシック様式を広めた重要な事例であり、建築・技術の発展において人類の価値の重要な交流となりました。ブダ城や国会議事堂などの建築様式や建物物群は歴史上の重要な時代を例証するものであるとして、1987年、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

2002年には、現存する伝統や思想、芸術的作品と大きく関わっているとして、ドナウ河岸、ブダ城地区及びアンドラーシ通りを含むブダペストとして、登録が拡大されました。

観光のポイント

くさり橋

くさり橋

1839年から1849年の間に建造された、ドナウ川に架かる橋の中で最も古く、最も美しい橋です。ブダとペストはそれまで別々の町でしたが、王宮があるブダと商業が盛んなペストがこの橋をかけた1849年に一つの市となりました。

建設費用はセーチェーニ伯爵が自らの私財を出して建設しました。改修や再建が繰り返されてはいますが、当初のくさり橋の構造で今に至っています。

ブダ城

ブダ城

1241年、1242年とモンゴル帝国からの侵攻を受けて、防御のために造られました。当時のブダ城は造りもシンプルなものでしたが、14世紀には城壁を設けたゴシック様式に改築、15世紀後半にはイタリアの彫刻家によってルネサンス様式に改築されました。

16世紀オスマン帝国時代には火薬庫として使用されたため、大きな損傷を受けましたが、18世紀にはマリア・テレジアの命により修復や大改築が行われ1770年に完成しました。しかし民衆による革命でまたもや破壊され、その後1904年、ネオ・バロック様式で再建されました。その後も戦争や動乱により損傷を受けましたが、ネオ・バロック様式で復元されています。

ブダ城の地下には洞窟がもととなった巨大な迷宮が広がり、第2次世界大戦中にはドイツ兵の隠れ家になったともいわれています。

国会議事堂

国会議事堂

ハンガリー国内で最も大きな建築物で、ヨーロッパで二番目、世界で三番目に大きな国会議事堂です。中央にドーム、左右対称のファサード。議会が開かれていない日には、専門ガイドによる見学ツアーができます。

国名 / エリア ハンガリー / ヨーロッパ
登録年 1987年 / 拡張年 2002年
登録基準 文化遺産 (ii) (iv)
備考 ■関連サイト
Budapest, including the Banks of the Danube, the Buda Castle Quarter and Andrássy Avenue(UNESCO)

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