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オーストラリア囚人遺跡群の概要
オーストラリア囚人遺跡群は、オーストラリア大陸のタスマニア州・ニューサウスウェールズ州・西オーストラリア州・ノーフォーク州の11カ所に位置する大英帝国によって建設された刑場遺跡です。2010年に世界文化遺産に登録され、18世紀から19世紀の産業革命時代における負の遺産として、人々に語り継がれています。
英国の裁判官により流刑となったおよそ16万6千人の男女が収容され、懲罰的(ちょうばつてき)な禁固と更生を名目とした植民地建設・拡大のための強制労働が行われました。歴史的栄華を誇るヨーロッパ列強の植民地拡大の裏には、彼らの存在と労働力が欠かせなかったことをこの遺跡は示しています。それと同時に囚人生活の在り方をも知ることができ、当時の様子を肌身を持って感じ取ることができるのです。
囚人遺跡群という登録名ではありますが、実際には刑務所だけではなく旧総督官邸や工場・炭鉱跡など開拓にまつわる様々な施設から成り立っています。
歴史
産業革命時代、大英帝国(現在のイギリス)の都市部では労働者・失業者が集中し、犯罪が多発しました。それは本土の刑務所に収容できなくなるほどであり、これに対しイギリスは囚人を国外流刑にする政策を取りました。
当時流刑先に選出されたのはアメリカでしたが、1776年にアメリカが独立したことで新たな土地を探す必要がありました。その際に注目されたのがオーストラリアです。こうして多くの囚人が送られてくる中、オーストラリアの先住民にも影響が及び、彼らは肥えた豊かな土地から痩せた土地へと追いやられ、また多くが収容所に強制移住させられました。
この移送と強制労働は、犯罪者のみならず、思想犯や当時の政権の政的などの比較的軽い罪で有罪判決を下された者に対しても行われました。18世紀から19世紀は奴隷制度の廃止が進んだ時代ですが、この強制労働の仕組みは、植民地を持つヨーロッパ列強の新たな主となる刑罰の法的形式を示しているのです。
同時にこの過酷な労働を見せしめにすることにより犯罪の抑制が推進され、加えて労働や規律は社会復帰の役に立つという思想を生み出すこととなりました。これは後の欧米の刑罰モデルにも影響を及ぼしました。
世界遺産登録の経緯
18世紀から20世紀にかけての列強の国々による罪人、非行者、政治犯の植民地への移送は人類の歴史において現在の人類の価値観にも関わる重要なトピックとして挙げられます。また白豪主義のきっかけともなったことで、世界の歴史上の重要な段階を物語っていることが評価され登録に至りました。同時に、強制労働というシステムの概要や目的をこの遺跡群から学ぶことができることも理由とされています。
必見ポイント
ポート・アーサー史跡(タスマニア州・タスマン半島)
大英帝国の最も残酷な流刑地の1つとして知られています。60棟もの建物が連なる自然豊かな美しい風景の中にひっそりと佇む空間には、不気味な監獄の恐怖感と同時に不思議な魅力を感じずにはいられません。
カスケーズ女子工場(タスマニア州・サウス・ホバート)
女性囚人のための刑務所兼工場跡で、女性専用の刑務所として唯一現存している貴重な遺跡です。しかしカスケーズ女子工場が設置された場所は水はけが悪く、囚人の数も収容能力を超えていたこと、劣悪な衛生状態、慢性的な食糧不足などの原因から死亡率が高かったとされています。