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概要
ケルン大聖堂(正式名称はザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂)はドイツ西部のケルンの街にある、ゴシック様式の大聖堂で、ドイツ3大聖堂(ケルン大聖堂、トリーア大聖堂、マインツ大聖堂)の1つです。157mにも及ぶ2つ高い塔が特徴的で、大聖堂は世界最大級となっています。黒色の外観と、いくつものステンドグラス窓で飾られた内部は独特な雰囲気を醸し出し、その壮大さに驚かされます。
以前この場所にあった大聖堂は火災で焼失してしまったため、現在の大聖堂は632年の月日をかけて完成されたものとなっています。
大聖堂はケルン中央駅の目の前にあり、フランクフルトからは電車で1時間半ほどで到着できます。世界遺産にも登録されているケルン大聖堂へぜひ足を運んでみてはいかかでしょうか。
ケルン大聖堂の歴史
現在のケルン大聖堂は3代目となっていて、初代は4世紀には完成していました。2代目は818年には完成し、東方三博士(イエスの誕生時に拝んだとされる人物)の聖遺物が置かれているということから多くの巡礼者が訪れていましたが、13世紀の火災により焼失してしまいました。3代目はその直後から建てられ始めましたが、16世紀の宗教改革の財政難からしばらく建設は中止となり、その本格的に再開したのは19世紀に入ってからでした。
ナポレオン戦争によりドイツではナショナリズム(国家統一)の風潮が高まり、人々は伝統を重んじるようになります。これによりゴシック様式のケルン大聖堂に注目が集まり、建設は急がれることになりました。結果、3代目の大聖堂が完成したのは建設開始から600年以上たった1880年でした。157mもの高さは、当時世界で最も高いとされていましたが、1884年にアメリカの169mのワシントン記念塔の完成により追い越されてしまいました。
第2次世界大戦の際には、英米軍からの14発の攻撃を受け内部の被害は膨大でしたが、全体は崩れることなく済んだため、1956年までの復旧工事により元の状態に復元されました。この時に廃墟にあったレンガが使われた箇所もあったため、1990年代に空襲前の外観に戻す作業が行われています。1996年には世界遺産としての価値が認められ、登録されました。
世界遺産登録経緯
ケルン大聖堂が世界遺産に登録された理由に、中世以降ヨーロッパのキリスト教文化に与えた影響とその存在価値が挙げられます。ケルン大聖堂はヨーロッパのキリスト教文化に歴史的に影響を与えてきました。ケルンには4世紀には司教座、8世紀には大司教座が置かれ、当時から王国や帝国との繋がりがあったといわれています。
1164年、神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世がミラノから東方三博士の聖遺物を持ち帰り、それ以降ケルン大聖堂には多くの巡礼者が訪れ、発展していきました。キリスト教による根強い結束があったことから、当時の大聖堂が焼失してしまっても再び建設する計画が立てられることになりますま。
ケルン大聖堂は1248年に建設が始まり、建設を中断した時期もありましたが、最終的に1880年に完成しました。600年という長い月日でありましたが、大勢の人々の共通の信念と精神があったからこそ完成が可能となりました。この影響力と存在価値により、1996年に世界遺産に登録されまでした。
世界遺産除名の危機
ケルン大聖堂は2004年から2006年の2年間、危機遺産リストに追加されてしまいました。当時、川を挟んで向かい側は再開発計画地として100mを超える超高層ビルの建設が進んでいたことが理由です。これらは世界遺産の景観を損なうものとされ、ドイツは世界遺産実行委員会から警告を受けました。
しかし、その後ビル建設の計画を見直し、ビルの高さを60m以下に変更し、大聖堂の周辺を広くするなどの対処を施したため、最終的には世界遺産からの除名は免れることになりました。
見どころ
外観
ケルン大聖堂はケルン中央駅目の前にあり、駅から出てすぐ目に入る巨大な大聖堂の存在感は、その大きさだけではなく、繊細で重厚感のある外観の影響が強く出ています。
ファサード(正面)には、3つの玄関と157mもの高さの2つの塔が組み込まれ、巨大な大聖堂を目の当たりにできます。大聖堂は細部まで綺麗な凸凹が表現され、安山岩、玄武岩、砂岩、石灰岩の使用による経年変化で、黒くなっている部分が大半となっています。
これにより黒い部分と元のクリーム色が混ざり立体感を生み出し、昼間は遠方からでもはっきりとした存在感を漂わせ、夜間はライトアップにより引き込まれるような幻想的な雰囲気が醸し出されています。
外観でさらに注目したい部分は彫刻です。大聖堂の玄関部分には、有名な彫刻作家によって造られた、聖書に登場する成人の彫刻の数々が出迎えてくれます。旧約聖書の1場面も浮き彫りされていて、ケルン大聖堂は外観や彫刻観察でも楽しめます。
身廊と祭壇
大聖堂内の内部は全長144m、身廊(聖堂内部の入口から祭壇までの通路部分)の高さは43.5mもあります。アーチ状の天井、上部に存在感のあるステンドグラス、左右の石柱に点在する石像が重厚な雰囲気を漂わせています。
身廊の先の祭壇の奥には、東方三博士の聖遺物を納めた金の棺が置かれていて、箱は木製ですが、銅や銀板による金細工と部分的に純金が使われています。この聖遺物により、歴史的にケルン大聖堂は多くの巡礼者にが訪れるようになりました。聖遺物と同時にケルン大聖堂に運び込まれた「ミラノのマドンナ」と呼ばれる聖マリアの彫像が、中央祭壇の右上の柱にあり、こちらも必見です。
中央祭壇の右側には、ケルンで活躍した画家シュテファン・ロホナーが1440年頃に描いた作品が置かれています。観音開きの3面で、中央に東方三博士の礼拝、左右はケルン市の守護聖人が描かれ、「市の守護聖人の祭壇画」ともいわれています。クリスマスと断食の期間は観音開きが閉じられ、その裏面に描かれた受胎告知の場面が表に向けられます。
ステンドグラス
ケルン大聖堂のステンドグラスは、大聖堂の見どころのうち最も魅力的な部分の1つでしょう。内部には、1260年から1562年に製作された43のステンドグラス窓だけでなく、その後中世、そして2007年に完成したステンドグラス窓など、時代を超えていくつものステンドグラス窓が設置されています。
西ファザードから入った右手に、「バイエルンの窓」と呼ばれる、ルートヴィヒ1世が1842年に奉納した5枚のステンドグラスが設置されています。キリストの生誕、東方三博士の礼拝、4人の預言者、アダムとイブ、ピエタ、聖霊降臨、聖ステファノの殉教などが描かれています。
ステンドグラスは聖書の1シーンが描かれていることが多いですが、大聖堂の中には1つまるでモザイクがかけられたようなステンドグラスがあります。それは、バイエルンの窓の奥にあり、ドイツを代表する現代アートの巨匠ゲルハルト・リヒターによって制作されました。元々は別のステンドグラスでしたが、第2次世界大戦により破壊されてしまったため、この現代アートのステンドグラス窓に置き換えられ、2007年に設置されました。
展望台
2つある塔のうち、南塔には展望台があり、大聖堂の外に設置されている階段の入り口から有料で行くことができます。509段もの螺旋階段があり、少しの休憩ができる中間には鐘が設置されています。その後頂上まで登ると、金網が張り巡らされているため写真は撮りにくくなってしまっていますが、ライン川とケルンの街を見渡せます。
ヨーロッパは、日本とは異なるその街並みを上から見るのが魅力ではあるので、大聖堂の展望台はおすすめです。
ホーエンツォレルン橋
大聖堂を離れた場所から見たいという方には、ライン川に架かる橋ホーエンツォレルン橋を渡った先から眺めるのが良いでしょう。大聖堂の全体と、波打つような形状の橋が合わさったダイナミックな景色は、記憶に残る思い出になること間違いありません。
この橋には南京錠も多くつけられていて、全長は409mある橋も、南京錠とケルンの街並みを観察しながら、渡る間も楽しめます。
国名 / エリア | ドイツ / ヨーロッパ |
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登録年 | 1996年 |
登録基準 | 文化遺産 (i) (ii) (iv) |
備考 | 2004年から2006年まで危機遺産 ■関連サイト Cologne Cathedral(UNESCO) |