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概要
「ネスヴィジにあるラジヴィル家の建築的・居住的・文化的複合体」は、ベラルーシ共和国の首都ミンクスからバスで1時間半程の場所にある世界遺産です。ラジヴィル家の居城として建てられた城郭建築物で、ネスヴィジ城という名でベラルーシの人々に親しまれています。
1582年に元となる中世の城を土台に、ルネサンス様式やバロック様式を使用し、1604年に3階建ての現在の城が完成しました。10の建造物で構成されており、それぞれが結ばれて全体で1つの建物のようになっています。面積1㎢を超える広大な庭園は、ヨーロッパ最大級と称されています。
1994年には、国の歴史的、文化的保護区となりました。そしてその美しさと建築様式、ベラルーシの歴史に与えた影響を評価されて、11年後の2005年ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
ラジヴィル家
ネスヴィジに広大な城を気付いたラジヴィル家の始まりはリトアニア公に仕えていた下級貴族の出身だったと言われており、15世紀頃にその地位を高めました。一族には優秀な人材が多く、ヨーロッパ各地で活躍しました。特にポーランド、リトアニア、ベラルーシの歴史にその名を刻む有名な一族です。
ラジヴィル家は5世紀以上にわたり、その地位を確立していきました。ラジヴィル家の権力は15〜16世紀に最盛期を迎え、その力は第2次世界大戦開始まで続いたとされます。
ネスヴィジ城は1770年代にロシア軍に制圧後、ラジヴィル家は追放されましたが、その後再び返還されています。しかし1939年に赤軍侵攻により再び追放されました。その後も現在に至るまでのラジヴィル家はポーランドを中心に資産家や政治家として活躍しています。
見どころ
「ネスヴィジにあるラジヴィル家の建築的・居住的・文化的複合体」は、当時リトアニア大公国の最高実力者ラジヴィル家の所領でした。個人の所有とは思えない程広大な土地と、複雑な建造物が魅力的な城です。
ネスヴィジ城
ベラルーシ人から最も美しい城と称される、ネスヴィジ城は16世紀〜19世紀にラジヴィル家所有の居城でした。
既存の中世の城をルネサンス様式やバロック様式を取り入れて、改築と増築を加えながら1604年に現在の形が完成しました。その後も何度か増築作業を行いますが、戦争による崩壊やラジヴィル家の追放などもあり、城は老廃していきました。
老廃していた城の所有者が再びラジヴィル家に戻った際には、修繕や修復が行われ、イギリス流の風景式庭園も作られました。ヨーロッパ最大級の庭園とも呼ばれ、見どころの一つとなっています。
しかし1939年赤軍の侵攻により、ラジヴィル家は再び追放されました。旧ソ連時代にはサナトリウムという長期療養所としての役目をしていました。
キリスト聖体教会
キリスト聖体教会は水路の堤防により城内と繋がっています。ネスヴィジ城でキリスト聖体教会は重要な建物で、ここにラジヴィル家の72人が眠っています。
この教会は東ヨーロッパで初となるバロック様式の教会としても有名です。