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概要
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カスピ海と黒海に挟まれたアゼルバイジャン共和国。北はロシア、北西はグルメニア、南はイランと国境を接しています。その影響でさまざまな民族が入り交じり、アゼルバイジャンの文化と景観は作られました。
首都バクーは「風の街」とペルシャ語で意味します。カスピ海特有の強い風がバクーに吹くことから名付けられました。このアゼルバイジャンの首都バクーの旧市街地に「城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔」はあります。2000年にユネスコ世界遺産として登録されました。
「城壁都市バクー、シルヴァンシャー宮殿、及び乙女の塔」はアゼルバイジャンの首都バクーの旧市街にあります。11~13世紀に建設された巨大な城壁に囲まれており、一般にイチェリ・シェヘル(アゼルバイジャン語で内城)と呼ばれています。
シルヴァンシャー宮殿は15世紀にこの地を支配していたシルヴァン王朝が建てました。王族の霊廟、ディワンハーネ(謁見の間)、ハーレム、ハマム(浴場)、モスクなどが残されており、当時を良く伝えます。
乙女の塔(クイズ・ガラスイ)もこのバクーの旧市街にあります。12世紀に要塞として立て直された石壁の塔で、もともとはゾロアスター教(拝火教)の寺院として建てられました。結婚を強要された王妃がここからカスピ海に身を投げたという伝説から建てられています。
歴史
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バクーの街は5世紀ごろから存在していたといわれますが、その存在が確認されたのは10世紀以降でした。現在のアゼルバイジャンの東側にあるシルヴァン地方の主要都市でもともとペルシア人のゾロアスター教徒の多い町でしたが、国境を接する国からアラブ人と共にイスラム教が入ってき、さらに現在のアゼルバイジャン人の先祖となるテュクル系の遊牧民が入ってきます。
1538年までは土着の王朝シルヴァン王朝が首都としていましたが、現在のイラン領アゼルバイジャンにあたるところで興ったサファヴィー王朝の支配を受け、さらに1585年にはオスマン帝国により支配されました。17世紀になるとまたまたサファヴィー王朝の支配に戻るなどイランとトルコの政権で争奪が続きます。しかし、現在の近代都市を築いたのはロシア帝国で、1806年に占領し、ロシア人主導で現在のバクーの姿になりました。
街並み
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旧市街には歴史的建造物や入り組んだ路地など中世の街並みが色濃く残され、どこか懐かしい雰囲気があります。旧市街の西側にあるシルヴァ王朝最盛期の名残をとどめるシルヴァンシャーの大宮殿は、アゼルバイジャンの国立博物館となりました。また、多様な文化の影響を受けた街並みが続いています。
1991年に旧ソ連から独立を果たしたアゼルバイジャンは油田の開発に成功し、驚異的な経済成長を遂げました。今もアゼルバイジャン・タワーなどの高層ビルの建設ラッシュが続いています。バクーの街は世界遺産としての城塞都市に隣接して近未来都市が出現しようとしています。新旧両方の街を楽しむのもよいですね。
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国名 / エリア | アジア / アゼルバイジャン |
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登録年 | 2000年 |
登録基準 | 文化遺産 (iv) |
備考 | ■関連サイト Walled City of Baku with the Shirvanshah's Palace and Maiden Tower(UNESCO) |