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概要
2016年に世界遺産に登録されたル・コルビュジエの17の建築作品は、フランスを中心に、世界7か国に残っています。スイス生まれで主にフランスで活躍した建築家ル・コルビュジエは、石積みやレンガ積みの伝統建築とは異なる、鉄筋コンクリートを使用したモダニズム建築の巨匠として、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと並んで「近代建築の三大巨匠」として知られています。
ドミノシステム(建築の主要素はスラブ、柱、階段である)や「近代五原則(ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由なファサード)」生み出し、近代建築・都市計画に影響を与えました。世界遺産に登録されているル・コルビュジエの作品の中には、国立西洋美術館も含まれています。
ル・コルビュジエについて
ル・コルビュジエは1887年にスイスで生まれ、学生時代には装飾美術学校で彫刻と彫金を学びました。在学中に、ル・コルビュジエの才能を見出した学校長の勧めで、建築家のルネ・シャパラと共に最初の住宅『ファレ邸』の設計をしました。その後、1908年にはパリで鉄筋コンクリート建築の先駆者であるオーギュスト・ペレの事務所に、1910年にはドイツ工作連盟の中心人物であったペーター・ベーレンスの事務所に籍を置き、実地で建築を学びます。1911年からの東欧の旅の後、1914年には鉄筋コンクリートの住宅建設方法である「ドミノシステム」を発表することになります。
1917年にパリへ戻り鉄筋コンクリート会社に勤めた後、1922年には従兄弟のピエール・ジャンヌレと共に事務所をつくりました。この頃から多くの建築物の設計を行い、世界的にも名が知られるようになりました。1923年に出版した著作「建築をめざして」での言葉「住宅は住むための機械である」は彼の建築思想の代表的なものとされています。
1928年以降に開催されたCIAM(シアム、近代建築国際会議)では中心メンバーとして活躍しました。1931年完成のサヴォア邸はル・コルビュジエの主張する「新しい建築の5つの要点」(近代五原則)を典型的に示し、代表作として知られています。
彼の功績は、伝統と歴史から切り離された鉄筋コンクリートを使用したモダニズム建築を生み出したことです。彼の思想は1920年以降の建築技術の進歩とともに広がり、モダニズムの1つの規範として、1960年代にピークを迎えました。
建築家としてだけではなく、都市計画・画家・著者そして家具のデザインも手がけるなど、幅広い分野で活躍しました。
世界遺産登録経緯
ル・コルビュジエの建築作品が世界遺産に登録された理由に、建築作品が傑作であるだけではなく、20世紀における住宅や社会の根本的な問題への解決の糸口となったからです。
1910年から半世紀にわたり、近代化と共に新たな思想、新たな建築様式、そしてそれに伴う近代的な建築物の需要が高まる中、彼が手がけた建築物は、それまでの歴史の常識を覆すほど斬新的、革新的で、この時代に活発になるモダニズム建築を反映していました。この新様式の建築は世界的に広まり、近代建築運動を発展させる要因となりました。
このようにして、半世紀以上にもわたりフランスを始め、世界的にもモダニズム建築の風を吹かせた影響力のあるル・コルビュジエの建築物は、7つの国に残る17つ建築物をまとめて、2016年に世界遺産に登録されました。
構成資産
国立西洋美術館(日本)
国立西洋美術館は東京台東区にある、1959年に設立された、東アジアにおける唯一のル・コルビュジエによる建築作品です。フランスから松方コレクションを寄贈返還するにあたり、美術館が必要となったことから始まりました。本館設計はル・コルビュジエ、実施設計・工事監理は弟子の前川 國男、坂倉 準三、吉阪 隆正によって完成しました。
この美術館は、ル・コルビュジエが提唱した「近代建築の五原則」全ての要素が使われていて、さらにはピロティ、スロープ、自然光による照明により、ル・コルビュジエの建築物の特徴がよく表現されています。正面に円柱を並べ、壁を取り除くことで外と中のつながりができた「ピロティ」で空間のゆとりがあります。「19世紀ホール」から始まる展示ホールでは、天井の3角窓から差し込む光が柔らかい光を醸し出しています。上階の展示室へのスロープはル・コルビュジエにより「建築的プロムナード」と名付けられ、主体者と共に変化する建築空間ができあがっています。
展示作品の増加で美術館も大きくすることができるとする「無限成長美術館」の構想が、この国立西洋美術館には採用されているのも特徴です。
レマン湖畔の小さな家(スイス)
ル・コルビュジエが両親のために1923年から1924年にかけて建てた名前の通り小さな家です。長さ20m、幅は3mで、小さくても快適に過ごせるように家具の配置にも配慮された間取りとなっている「最小限住宅」です。レマン湖に面した窓からは広いレマン湖の風景と自然光が差し込みます。庭もこだわりがあり、外からの視線が気にならないよう、プライベートを保ちつつ、湖の景色も楽しめるデザインとなっています。
ロンシャンの礼拝堂(フランス)
1950年から1955年にかけて建てられた礼拝堂で、「ノートルダム=デュ=オー礼拝堂」が正式名です。第2次世界大戦以前には教会が建てられていましたが、破壊してしまったため、ル・コルビュジエにより礼拝堂が建てられることになりました。普段は巡礼者のための小さな礼拝堂となっていますが、祝祭日になると大勢の人々が訪れます。
曲線を帯びた白い独特の建物で、シェル構造を用いた茶色の屋根が存在感を増しています。分厚い壁には戦争で破壊された際のがれきが混ぜられています。その壁には大小さまざまの窓があり、そこに取り付けられたガラスから建物内に差し込む光は、礼拝堂内に不思議な雰囲気を漂わせてくれます。
サン・ディエの工場(フランス)
この織物工場、サン・ディエ工場の名前は持ち主サン=ディエのジャン・ジャック・デュヴァルの名前が由来です。この工場は第2次世界大戦で破壊されてしまったため、1946年から1951年にかけて再建され、機能的な工場になりました。
1階はピロティになっていて、原料の保管庫および製品の荷造り場所とされ、2階を主たる作業場、3階は原料の裁断場所となりました。これにより、作業の流れがスムーズになり、1階の原料保管庫から3階に運び上げられ、裁断された原料はその後2階で縫製、仕上げ、アイロン掛けなどが行われ、最終的には1階に下ろされて包装されるという手順で作業が進められるようになりました。
チャンディガールのキャピトル・コンプレックス(インド)
チャンディガールは、インド北部のパンジャブ州にある都市で、ル・コルビュジエが実現できた数少ない都市計画のうちの1つです。キャピトル・コンプレックスは行政機関やモニュメントが集まるエリアで、高等裁判所、議会棟、行政庁舎、オープン・ハンド・モニュメント、影の塔があり、裁判所や議会棟は現在でもつかわれているため、個人では建物の中へ入ることや近づくことができません。
国名 / エリア | アジア / アメリカ大陸 / アルゼンチン / インド / 日本 |
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登録年 | 2016年 |
登録基準 | 文化遺産 (i) (ii) (vi) |
備考 | 構成資産は7か国17物件。 ■関連サイト The Architectural Work of Le Corbusier, an Outstanding Contribution to the Modern Movement(UNESCO) |