春日大社

Kasugataisha

春日大社

春日大社の概要

国家鎮護の社として創設された春日大社。全国の春日神社3000社の総本社である春日大社は「古都奈良の文化財」の一つとして世界遺産に登録されています。

平城京守護の目的で奈良時代に創建されたのが始まりの春日大社。称徳天皇の勅命を受け、聖域春日山に4つの神殿を築きそれぞれに4人の神が迎えられました。4神は第一殿にて茨城県鹿島神宮から招致の武甕槌命(タケミカヅチノミコト)、第二殿にて千葉県香取神宮から招致の経津主命(フツヌシノミコト)、第三殿にて大阪府枚岡神社から招致の天児屋根命(アメノコヤネノミコト)、第四殿にて比売神(ヒメガミ)が迎え入れられ、祀られています。

春日大社の境内は標高295mの御蓋山全域の山林、社頭から西の飛火野、雪削の沢一帯の芝、若宮おん祭の御旅所から一の鳥居までの参道地帯を含む全域です。境内に広がる原始林は古代から神域とされ、この原始林の中に、照り返す鮮やかな朱塗りの社殿が鎮座しています。また、藤原氏の氏寺であることを表象するように境内には藤の花が美しく咲いています。

春日大社では、本殿はじめとする社格が文化財として価値が認められているのに加え、古来、天皇や貴族、藤原氏はじめとする多くの貴族が奉納した品々が御神宝として大切に保護されています。約3000点の重要文化財、国宝を擁する春日大社は、その点数と質の高さから「平安の正倉院」と呼ばれるほど。

始まりは国家の安泰を願って創建された春日大社。現在も国家国民の平和、繁栄を願って年間2200回以上のお祭りが斎行されています。

春日大社の歴史

春日大社

春日大社の創建について、春日大社が公式に見解する神話が存在します。神話によると、平城京遷都の頃、春日大社の裏山の御蓋山山頂に、茨城県の鹿島神宮から武甕槌命をお迎えしたことが歴史の始まりとされています。

史実としての春日大社の始まりは奈良時代、768年(神護景雲2年)。称徳天皇の勅命により当時の左大臣、藤原永手が神山、御蓋山ふもとに武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の4名を祀る社殿を造営したことが起源です。神を招き、春日大社を築く過程で藤原氏が密に関わっていました。

平城京から平安京への遷都の時代、みやことしての地位を失う奈良。このタイミングで南都七大寺の中には荒廃していく寺もある中で、平安時代に強大な権力を誇った春日大社はむしろ藤原氏の勢力拡大に合わせて発展を遂げます。藤原氏はじめ多くの有力貴族が春日詣を慣行としたり、貴族達から貴重な宝物、刀剣、調度品が奉納されたりと、このような中、藤原氏の氏寺つながりで興福寺とのつながりを強めていきます。

平安時代中期、神は仏の化身であるという本地垂迹説に唱えられる神仏習合の流れが強まると、興福寺と春日大社は一体的な存在に。興福寺の僧侶が春日大社境内で読経を行うなど、互恵関係を強めていきます。平安時代も後期を迎えると、現在も著名な春日大社最大行事、「春日若宮おん祭」が関白、藤原忠通らにより創始されます。この祭りは興福寺の働きかけで開始が促されたと言われ、春日大社、興福寺の関係性は途切れることなく続く祭事からも垣間見ることが出来ます。また、この時期、興福寺の僧侶が強訴する口実に春日大社のご神木を用いたと言われ、ここからも両者のただならぬ関係を確認することができます。

春日大社

鎌倉時代から江戸時代にかけての数百年間で政治権力は遷移。藤原氏の衰退に伴い、春日大社の勢いにもブレーキがかかります。こういった中でも興福寺との互換関係は継続。鎌倉時代には興福寺の勢力増強の恩恵を受け、「おん祭」など行事を軸に大和国における存在感は再興します。

次第に興福寺も勢いを失うものの、今度は徳川家の崇敬を受けた春日大社は一定の地位を確保するのでした。鎌倉時代から江戸時代にかけて 、日本は戦災、天災により壊滅的被害に幾たびも遭遇します。そもそもこれほどに力を持つ寺社は戦禍に包まれるのが定石。こういった中で春日大社はそのような被害を受けたことは今に至るまで一度もありません。これは歴史上奇跡的なことです。

明治時代に入って、春日大社は廃仏毀釈により苦しい時節を迎えます。神仏分離から仏教の排斥が起こり、興福寺は事実上の消滅。また世襲制度廃止で春日大社周辺の町は勢いを失ってしまいます。こうした中でも春日大社自体は大きな荒廃を経験することなく今に至ります。奈良時代の創建以来1300年の長い時間で培われた日本固有の歴史要素、自然要素、それらが構成する文化的景観が評価され、春日大社は1998年に世界遺産に登録されました。

春日大社の見どころ

三千基の燈籠

春日大社 三千基の燈籠

境内に並ぶ、平安時代から奉納が始まった約3000基の燈籠。社寺の参道にこのように燈籠を並べる風習は春日大社発信であり、全国にある室町時代の燈籠の約7割がここにあると言われています。

春日大社を特徴づける朱塗りの楼門と回廊。これに沿うようにして、約800年にわたり奉納されている釣燈籠が約1000基並びます。一方、参道に連なる約2000基の石燈籠。 その多くには鹿の意匠が美しく刻まれています。燈籠には毎晩火が灯され、ゆらめく明かりは幽玄の世界広がる聖域を照らします。

御蓋山、春日山原始林

春日大社

春日山原始林、奈良の鹿は共に国の特別天然記念物。
神山である春日山、御蓋山は春日大神様のご神域と考えられ、これを保護するため、平安時代に朝廷から狩猟伐木禁止の太宰官符が出されました。これにより、この地は今日まで原生林として保たれ、県庁所在地に原生林が残る国内唯一の場所に。神様のもとで原生林の自然と動物、人間が共に生きる特別な世界です。

世界で一番大事にされる神鹿

春日大社 神鹿

奈良時代、神様が常陸国から御蓋山にお越しの際、白鹿に乗ってこられたことから、春日神鹿は神のお供・使いとして大切にされるようになりました。

現在、奈良公園を中心に約1300頭の鹿が生活。世界でも類のないこの場所に、奈良の鹿に惹かれ、一目見ようと世界中の人々が足を運びます。

備考 「古都奈良の文化財」の構成資産

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