明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業

Sites of Japan’s Meiji Industrial Revolution: Iron and Steel, Shipbuilding and Coal Mining

軍艦島

明治日本の産業革命遺産の概要

「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」は、江戸時代末期から明治時代にかけての近代日本産業の勃興と発展に関する世界文化遺産です。国内8県(岩手、静岡、山口、佐賀、長崎、鹿児島、福岡、熊本)に点在する23の構成資産は、封建社会から近代国家への日本の変化をけん引した産業の遺産として、2015年に世界文化遺産として登録されました。

世界遺産に登録された理由

これらの構成資産は、当時日本が西洋諸国から技術を導入して日本の伝統技術と融合させ、非常に短期間のうちに日本を有数の産業国家にした一連の流れを表すものです。そして非西洋国における初めての産業国家の成功例であったことが世界的に見ても特別な例であるとされ、登録が認められました。

歴史

江戸時代末期の日本は、鎖国政策のなかにあって諸外国の開国圧力を受け、雄藩(長州、薩摩、土佐、肥前、水戸など)の台頭と幕府の衰退、尊王攘夷運動や公武合体運動などが複雑に絡み合う時代でした。

1850年頃、外国諸勢力に対する沿岸防備のために、オランダ人から砲術を学んだ高島秋帆により伊豆の幕領代官・江川坦庵へと技術が伝授され、韮山など日本各地で反射炉が建造されました。ペリー来航をきっかけに1854年に開国すると、海軍創設のため長崎海軍伝習所が開設され、大型船の造船も推進され、海軍の近代化が図られていきます。

これらを支える産業は西洋技術と伝統技術を融合して目覚ましく発展していき、日清戦争など対外戦争がまた拍車をかけていきました。

明治日本の産業革命遺産の必見ポイント

世界文化遺産として登録された23の構成資産は国内8県に分散しています。そのうち、以下構成資産をご紹介します。

旧集成館(鹿児島県)

旧集成館事業は、薩摩藩主であった島津斉彬が1851年から始めたもので、外国勢の圧力による危機を目の前に、大砲や武器を鋳造するための金属溶解炉「旧集成館反射炉」を試行錯誤で建造していきました。また1865年に完成した「旧集成館機械工場」は洋式の輸入機械や技術を使って金属加工品や船舶装備品などを生み出し、船舶の修繕維持に多大な役割を果たしました。なお 堅牢な旧集成館機械工場の建物は現在は博物館として利用されています。鹿児島ではほかに「寺山炭窯跡」「関吉の疎水溝」が構成資産に登録されています。

韮山反射炉(静岡県)

1853年に築造を開始した反射炉で、実際に稼働した反射炉では現存する唯一のものです。伊豆の幕領代官江川英龍(坦庵)が高島秋帆から砲術を学んで手がけ、子の英敏が完成させました。この溶解炉で金属を溶かし、大砲を鋳造していました。西洋技術を入手して日本の伝統技術を利用し画期的なものでした。

三重津海軍所跡(長崎県)

1855年に長崎海軍伝習所が創設されると、佐賀藩士たちは航海術や造船技術を学んで1861年に三重津にドライドックを設置、佐賀藩による造船能力を高めていきました。佐賀藩の造船技術は高く、木造外輪蒸気船「凌風丸」の建造に成功しています。三重津海軍所跡は現在はその遺構が発掘されて見学することができます。

松下村塾(山口県)

長州萩郊外松本村にあった私塾で長州藩士吉田松陰が1855年頃に塾生の指導にあたりました。門下生として高杉晋作、山県有朋など尊王攘夷運動や明治維新で新政府に関わる人物を多く輩出し、日本の近代化の思想的な原点となりました。萩エリアでは「萩城下町」「恵美須ケ鼻造船所跡」「大板山たたら製鉄遺跡」が当時の史跡として保存状態が良く、一連の世界文化遺産に登録されています。

橋野鉄鉱山(岩手県)

橋野高炉跡は近代製鉄の父・大島高任により1858年に鉄砲鋳造を目的として建設された洋式高炉で、現存する最古のものです。高炉3基、水路などの遺構が石組の高炉3基や水路、御日払所等の初期の近代製鉄業の遺構が点在しています。

旧グラバー住宅(長崎県)

旧グラバー住宅は1863年に建設された現存する最古の洋風木造建築であり、最初の和洋折衷住宅といわれています。スコットランド出身、21歳で貿易商見習いとして来日したトマス・グラバーは、小菅修船所や高島炭鉱の建設に協力し、石炭や造船などの産業近代化に貢献しただけでなく、伊藤博文をはじめとする明治政府の立役者をも支え、西洋技術と技術者の交流を推進しました。

旧グラバー住宅
旧グラバー住宅 旧グラバー住宅の概要 旧グラバー住宅は世界遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録された構成資産のひとつであり1863年築の現存する...

三池炭鉱(熊本県・福岡県)

室町時代に石炭が発見された場所で三池藩により開坑されていましたが、殖産政策にもとづいて官営模範工場や直営事業所を中心とした近代産業育成がすすめられるなか、1873年より官営となり、実業家、団琢磨などにより近代化が急激に進められました。三池炭鉱の世界遺産としての構成資産は「三池港」「三池炭鉱宮原抗」「三池炭鉱専用鉄道敷跡」「万田坑」が登録されています。なかでも万田坑は施設とそれに伴う設備が残っており、外国製の機械や三池炭鉱製の機械の保存状態も良好です。

官営八幡製鐵所(福岡県)

日清戦争(1894~95)後の軍備拡張、製鉄業振興政策により官営の製鉄所として1901年から操業を開始し、日本の重工業時代を担ってきました。構成資産は「旧本事務所」「旧鍛冶工場」「修繕工場」(現在も稼働中)で、現在の事業所は日本製鉄として九州地区の自動車工業向け高級鋼板やアジア市場への供給拠点となっています。

長崎造船所 ジャイアント・カンチレバークレーン(長崎県)

三菱重工業長崎造船所本工場内には5つの構成資産「ジャイアント・カンチレバークレーン」「第三船渠」「旧木型場」「占勝閣」「小菅修船所」があり、日本の造船業を築いた重要な場所です。ひときわ目をひくジャイアント・カンチレバークレーンは、1909年に導入された日本初の電動クレーンでした。スコットランドが国外に設置した最初のクレーンであり、いまも稼働している世界最古のクレーンです。

長崎県・端島炭坑

海底炭坑の端島は、その形から「軍艦島」と呼ばれていました。明治中期以降に採炭事業が本格的に開始されて明治後期には高島炭鉱(構成資産)の主力抗となり、国内外の石炭需要を担いました。最盛期の昭和35年頃は、当時の東京区部の9倍もの人口密度があったのです。

学校や病院はもとより、映画館などの娯楽施設も併設され、島内ですべてを賄っていました。隣接する高島炭坑とともに日本の近代化を支えましたが、石炭需要の低迷で昭和49年に閉山、無人島となりました。現在、軍艦島上陸ツアーが開催されており、日本最古(1916年)の鉄筋コンクリート造の7階建て30号アパートなどを見学できます。

国名 / エリア アジア / 日本
登録年 2015年
登録基準 文化遺産 (ii) (iv)
備考 ■関連サイト
Sites of Japan’s Meiji Industrial Revolution: Iron and Steel, Shipbuilding and Coal Mining(UNESCO)

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