古典主義の都ヴァイマール

Classical Weimar

古典主義の都ヴァイマール

古典主義の都ヴァイマールの概要

ゲーテとシラー
ヴァイマルのゲーテとシラー

古典主義の都ヴァイマールは、ドイツ中西部に位置し、18世紀半ばから19世紀半ばにかけて芸術が開花した街です。
ヴァイマールの地では、ゲーテやシラーをはじめ多くの文化人が集まり、ギリシャ・ローマ時代を理想に掲げたドイツ古典主義として、芸術や文化、音楽等の新しい時代が切り開かれました。ドイツ古典主義は、現代芸術にも多くの影響を与えており、1998年、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

世界遺産登録の経緯

古典主義の都ヴァイマール

ヴァイマールは、ドイツにある農業国ザクセン・ヴァイマール公国の首都で、小さな都市でした。1775年に君主カール・アウグストが、ドイツの詩人であり作家であるヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテを招いたことから、文化都市としての発展が始まります。

初めは客賓として招かれたゲーテでしたが、若干26歳にして、翌年には最高政治機関である枢密院参事官として教育や芸術、銀鉱山の再開発や道路の建設にも関わりました。

ゲーテと共にドイツ古典主義の発展に尽力した人物が、知識人・シラーです。

シラーは1799年、ゲーテに招聘され、ヴァイマール宮廷劇場の顧問役として劇場運営に力を注ぎました。二人は、住居もわずか数百メートルの距離で親交を深め文化を開拓していったのです。

「ファウスト」を生み出したゲーテと、ゲーテと親交の深いシラーが加わり、さらに音楽家や学者なども集まり、文化芸術はさらなる進化をとげていき、ドイツ古典主義と呼ばれるようになりました。

ヴァイマールには、当時を偲ばせる建築物や公園が多く残されており、世界遺産の構成資産は合計11件に至ります。ゲーテとシラーの居住した家も「ゲーテ・ハウス」「シラー・ハウス」として当時の様子を今に伝えます。

ヴァイマールのイルム川沿いには、ゲーテがイギリス庭園風に造園したイルム川畔公園があり、その一角には、ゲーテが初めて住まいとした「ガルテンハウス」が残されています。ガルテンハウスでゲーテは様々な詩を作り、書物や美術品を集め研究を行っていました。 古典主義の都ヴァイマールは、文化的伝統的文明の稀な証拠であり、現存する伝統、思考、芸術的、文学的作品と明白に関連しているとして、1998年、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

観光のポイント

ヴァイマール城

ヴァイマール城
ヴァイマール城 Weimar by udo schuklenk, on Flickr

ヴァイマール城は、ヴァイマールのイルム川沿いに位置し、10世紀に建てられました。幾度かの火災、修復を経験した後1774年に火災により焼失。その後大規模な修復工事が行われ、ゲーテも再建のために関わりました。世界遺産の構成資産に含まれており、ドイツ古典主義建築の傑作としても知られています。城内には「シラーの間」や広大な宴会場があり、現在では博物館として利用されています。

べルヴェデーレ城

古典主義の都ヴァイマール
べルヴェデーレ城

べルヴェデーレ城は、ヴァイマール南方に位置し、当初は簡素な離宮でしたが、1724年以降バロック様式の豪華なお城に建て替えられました。その後、ゲーテを招聘した君主カール・アウグストの母・アンナ・アマーリア公爵夫人が夏の離宮として利用しました。ロココ様式の庭園や、温室などもあり、温室の整備にはゲーテも参加。ゲーテ自身も温室で植物の研究を行っていたそうです。

国名 / エリア ドイツ / ヨーロッパ
登録年 1998
登録基準 文化遺産 (iii) (vi)
備考 ■関連サイト
Classical Weimar(UNESCO)

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