琉球王国のグスク及び関連遺産群

Gusuku Sites and Related Properties of the Kingdom of Ryukyu

琉球王国のグスク及び関連遺産群

琉球王国のグスク及び関連遺産群の概要

独特な雰囲気と文化が漂う現在の沖縄県は、14世紀~15世紀の琉球王朝時代に発展しました。その昔、琉球王朝ができる前は3王国に分立していて、そのときの拠点はグスク(城)でした。グスクは城としてだけではなく、防御、御嶽(うたき=聖地、拝所)としても使われ、日本や近隣諸国の影響による様々な文化を象徴しています。

現在でも残されているグスクは、12世紀以降のグスク時代、さらには琉球王国の繁栄を物語るものとされ、2000年に世界遺産に登録されました。

世界遺産登録の経緯

琉球王国のグスクと関連遺産群が世界遺産に登録された理由の1つに、遺産群が琉球王朝の独自の文化を示しているからです。遺産群の石造は中国、東アジアの建築の影響を受けつつ、琉球独自の素材が用いられています。識名園でも、日本庭園と中国庭園の要素が組み込まれ、琉球地方独特の空間構成となっています。

また、農村集落から発展した防衛的な城塞施設(グスク)は、考古学的遺跡として極めて貴重で、そのうえ農村集落の中核として、現在もなお市民の精神的なよりどころとして重要な存在となっている点においても評価されました。

こうして、琉球王朝時代の文化と歴史を象徴し、農村集落の中心として崇拝の対象となってきたグスクは2000年に世界遺産に登録されました。

歴史

琉球王国

12世紀までは狩猟採集が中心だった琉球ですが、その後農耕社会になるにつれて指導者(按司・アジ)を中心に権力争いが起こりました。14世紀には琉球は3つの国(南山、中山、北山)ができ、互いに勢力拡大を目指していました。この時の拠点となっていたのがグスクです。グスクの役割は多様で、城としてだけではなく、御嶽(うたき)としても親しまれ、多くの参拝者が訪れました。結果的に3つあった国は、中山の尚氏が1416年に北山、1429年に南山を滅ぼしたことにより、琉球王国が建てられることになります。

王国は成立したものの、その後の度重なる政権交代により地方への統制は衰えていきます。次第に、中城城(なかぐすくじょう)の按司・護佐丸(ござまる)と勝連城の按司・阿麻和利(あまわり)が力をつけるようになり、彼らが起こした反乱「護佐丸・阿麻和利の乱」は王府を脅かす存在となります。阿麻和利は軍を率いて護佐丸のいる中城城へ向かい、護佐丸を落城させ、その後は首里城へ向かい王府を倒すことを試みました。結局、阿麻和利は王府軍により勝連城で倒され、王府は危機を逃れました。

1609年には薩摩藩に征服され、1879年には沖縄県に変更されました。その後の世界大戦で沖縄が地上戦の場所となったことから、グスクの建造物は全て全壊してしまいましたが、1992年に首里城の建築物群のみ再建されました。2000年には価値が認められ、9つのグスクが世界遺産に登録されることになります。首里城に関しては、再建部分の建築物群を除く地下遺構が登録されました。

残念ながら、首里城の建築物群は2019年の火災により焼失となってしまいましたが、地下遺構が残されているため、世界遺産の価値は以前と変わりません。

必見ポイント

勝連城跡(かつれんじょうあと)

勝連城跡

勝連城跡は、沖縄県中西部の勝連半島に位置し、那覇空港からは車で約1時間の場所にあります。最後の按司で最盛期であった10代目の阿麻和利の居城で、本土や中国大陸との中継貿易で栄えました。最終的に首里王府の軍勢によって滅ぼされてしまいましたが、残されている城跡はその歴史を語っています。

勝連城跡の特徴は20mもの高低差があることです。これにより防衛機能は吐出していました。1番高い場所、一の曲輪(くるわ)では標高約98mとなっていて、そこから広がる海の景色を眺められます。

識名園(しきなえん)

識名園(しきなえん)

識名園は沖縄県南部の、那覇空港から車で40分ほどの場所に位置します。1799年につくられたその庭園は、王家の別邸であったとともに、中国皇帝の使者 冊封使(さっぷうし)を招く場所とされていました。15世紀から16世紀にかけて活発だった貿易の際、中国王朝からのサポートと良好な関係を保つには、「琉球国王」として認められなければなりませんでした。中国本土からの使節は、琉球王国が代替わりとなる度にやってきて、識名園に半年から1年滞在しました。

識名園は緑があふれ、散策を楽しめます。識名園には今も湧き出る「育徳泉(いくとくせん)」、そして自然を感じることができる正門からの石畳道の散策もおすすめです。識名園の中で1番見晴らしの良い「勧耕台(かんこうだい)」からは、周辺の街並みを見ることができます。

斎場御嶽(せーふぁうたき)

琉球

斎場御嶽は9つの遺産群の中で最も南に位置し、空港から約車で50分のところに位置します。斎場御嶽は樹木や岩山に神が宿る聖地とされ、琉球王国時代から国家的な祭事が行われてきました。沖縄の7つの御嶽の中でも一番格式が高く、男子禁制の場でもありました。斎場御嶽では願いよりも感謝を伝える場所とされています。御嶽内には6つのイビ(神域)があるので、緑に囲まれながら散策してお祈りをするとよいでしょう。

首里城跡

首里城跡

首里城は沖縄県内最大の木造建築物で、琉球王朝時代には王家の居城として使われていました。琉球王朝時代には政治の中心として、さらには御嶽も10か所あることから、近年の首里城の復元までは聖地として親しまれてきました。日本本土と東アジア諸国との交流の歴史から、それぞれからの影響を受けつつ独自の建築様式が用いられ、特に朱色や赤瓦、龍は中国の城の影響を大きく受けています。

これまで沖縄戦を含め、琉球王朝の統治以降に何度もの焼失と再建が繰り返されてきました。首里城は本殿の下の遺構部分が世界遺産に登録されているため、世界遺産としての価値は失われずに保たれています。

首里城をユニークにする通年イベントや歴史イベントは見どころです。毎晩のライトアップや、毎年秋には歴史イベントとして宴や首里城祭も行なわれます。建造物だけでは味わえない、琉球王朝文化を知ることができます。

今帰仁城跡

今帰仁城跡は沖縄県の北部、車で那覇市から約1時間半の本部(もとぶ)半島に位置するグスクです。琉球王国が成立する以前の3王国の時代から存在し、北山(ほくざん)の国王の居城でした。

特徴は、波打つような形状の城壁が、標高約100メートルの高台に位置していることです。この形状により防御機能に優れ、中山軍は攻めるのに苦戦したとされています。今帰仁城跡のいくつかある絶景スポットから眺める海の景色と、1月頃に咲くカンヒザクラは必見です。

座喜味城跡

座喜味城跡は、那覇市から車で約1時間の沖縄県中部に位置します。15世紀初頭に築城家の読谷山按司護佐丸(ゆんたんざあじござまる)によって築かれました。

小規模ながらも、城壁や城門の石積みは沖縄の城の中でも随一の精巧さと美しさを誇ります。城壁の曲線は防御用に、城壁の厚さは弱い地質に耐えられる構造とされていて、護佐丸の築城技術の高さが示されています。標高120mの丘陵地に位置し、一番高いところから全体を見渡すことができます。

国名 / エリア アジア / 日本
登録年 2000年
登録基準 文化遺産 (ii) (iii) (vi)
備考 ■関連サイト
Gusuku Sites and Related Properties of the Kingdom of Ryukyu(UNESCO)

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