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『レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院』の概要
イタリア、ミラノ市内のロンバルティア州にある「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」と隣接する「ドメニコ会修道院」は、1980年に世界文化遺産に認定されました。両施設とも建築家のGuiniforte Solari(ギニフォルテ・ソラーリ)によって1490年に建設され、ドミニコ会修道院の食堂だった部屋の壁に、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」があります。
15世紀の終わりにルネサンスの巨匠と呼ばれた建築家のドナト・ブラマンテによって教会は大きく改築されました。1943年に第二次世界大戦による爆撃で大きな被害を受けましたが、その後完全に修復され、今に至ります。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院の歴史
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会は、ゴシック様式で14年に建設されたカトリック教会です。15世紀から16世紀にかけてミラノを支配していたスフォルツァ家の軍が、ドミニコ修道会に土地を寄付したことから建設が始まります。
1464年から建設が始まり1490年にゴシック様式の教会が完成しますが、その後数年で改修されて、ルネサンス様式として大きく改造されました。もともとあった教会を拡張し、その他に大きな円形のアプシス、円柱に囲まれたドラム型のドーム、そして壮大な回廊と食堂を建設しました。これはヴァチカン市国にあるサン・ピエトロ大聖堂の改築を手がけたブラマンテが設計しました。
最後の晩餐とは
レオナルド・ダ・ヴィンチの作品の一つで、イエス・キリストが処刑される前夜に12人の使徒と食卓を囲んでいる様子が描かれています。真ん中に描かれているイエス・キリストがこの食事中に使徒の1人が裏切ることを予告した直後の様子で、12人の使徒が動揺したり哀願的な目でキリストを見つめたりと様々な表情が描かれています。
1495年から3年かけて縦420cm×横910cmもの巨大な壁画を完成させました。レオナルド・ダ・ヴィンチはこの壁画をペンテラ技法で描き上げました。この技法を用いたことでリアルな人物描写が可能となり、遠近法を用いたことにより平面に立体的な奥行きのある作品が出来上がりました。
テンペラは壁に馴染みにくく壁画には向かない技法だったため、完成直後から劣化が進んでしまいました。1977年から修復作業が行われ、1999年に20年間の修復作業を終え名画が蘇りました。現在は作品の劣化を防ぐために見学者の人数を制限しており、見学には事前予約が必要となっています。
必見ポイント
レオナルド・ダ・ヴィンチの傑作「最後の晩餐」
壁画として描かれている「最後の晩餐」は、真ん中に描かれているイエス・キリストの顔に遠近法の消失点となるように、一点透視図法で描かれています。絵画には12人の使徒が3人ずつの4グループで構成されており、左からバルトロマイ、小ヤコブ、アンドレア、ユダ、ペトロ、ヨハネ、イエス・キリスト、トマス、大ヤコブ、フィリポ、マタイ、タダイ、シモンが描かれています。
裏切り者であるユダは右手に銀貨が入っている袋を握っており、この銀貨は反キリスト教信者にキリストの居場所を教えたことによる報酬だとされています。
レオナルド・ダ・ヴィンチは使徒12人の配置を決めるにあたり数年を費やし構図を考え、3年かけて描きました。ダ・ヴィンチの作品はほとんどが未完成であるのに対し、最後の晩餐は完成された作品であり、生涯の大作であると言えます。
国名 / エリア | イタリア / ヨーロッパ |
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登録年 | 1980年 |
登録基準 | 文化遺産 (i) (ii) |
備考 | ■関連サイト Church and Dominican Convent of Santa Maria delle Grazie with “The Last Supper” by Leonardo da Vinci(UNESCO) |