Table of Contents
賀茂御祖(かもみおや)神社の概要
賀茂御祖神社は、「古都京都の文化財」構成資産の一つで、国宝2棟(東西の本殿)の他、計31棟の建造物が重要文化財に指定されています。二つの川(鴨川・高野川)の合流地点に位置し、境内は糺(ただす)の森という大きな森に包まれています。
鴨川の下流に祀られているお社なので、「下鴨(しもがも)さん」、「下鴨神社」と親しまれています。アクセスの一例として、京都駅から市バスに乗って下鴨神社前(もしくは糺の森前)で下車すると到着します。神社西側に駐車場もあります。
西殿に祀られる賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)は、古代の京都をひらいた神様であり、京都の守護神とされます。世界平和、五穀豊穣、殖産興業、身体病難解除、導きの神、勝利の神、方除、厄除け、入学、就職の試験などの合格、交通、旅行、操業の安全等多方面に御神徳があります。
東殿に祀られる玉依媛命(たまよりひめのみこと)の由縁は、賀茂別雷(かもわけいかづち)神社の歴史と重なります。婦道の守護神として、縁結び、安産、育児等。また、水を司られる神として著しい御神徳があります。
賀茂御祖神社の歴史
賀茂御祖神社は、紀元前90年に修造が行われた記録があり、神社はそれ以前の古い時代から祀られていたと考えられています。その証拠に、糺の森周辺では縄文時代や弥生時代の遺物が発掘されています。
賀茂御祖神社は、8世紀中頃に賀茂別雷神社から分立したとされます。平安京造営の際に、賀茂別雷神社とともに国家鎮護の社となり、11世紀初頭には現在に近い姿に整備されます。その後、応仁・文明の乱により糺の森とともにほとんどが焼亡してしまいますが、1629年に再興されて平安時代の状況が再現されました。
1863年を最後に、本殿の造替は行われなくなり、近代では部分的な修理が行われるのみであるため、現在国宝である東西の両本殿は1863年に造替されたものです。賀茂別雷神社の本殿・権殿と同様に、神社建築様式の一つである「流造」の代表例です。
見どころ
縁結びの相生社(あいおいのやしろ)
小さなお社ですが、縁結びのパワースポットとして有名です。お社の左側に「連理の賢木(れんりのさかき)」というご神木が祀られています。このご神木は、2本の木が途中から1本に結ばれ、その根本には子供の木が芽生えていることが特徴であり、縁結びのご神徳のあらわれとされています。昔から京の七不思議の一つとして数えられており、現在のご神木は4代目。代を次いで境内「糺の森」に生まれてくるのも不思議とされます。
美麗祈願の鏡絵馬
女性守護のお社として古くから祀られているのが河合神社です。玉依媛命は玉のように美しいことから美麗の神としての信仰もあります。河合神社で美麗祈願の絵馬として使用されるのが「鏡絵馬」です。手鏡の形をした絵馬に、普段自分が使用している化粧品でメイクします。自分の綺麗な表情を描きながら絵馬に願いを託すことで、外見のみならず内面を美しくするといった意味が込められています。
みたらし団子の発祥地「井上社(御手洗社)」
御手洗(みたらし)社では、「土用の丑の日に、池の清水に足をつけると病気にかからない」という無病息災を祈ってお祓いをうける御手洗祭が行われます。また、御手洗川は土用になると、川の底や池の周辺から清水が湧き出るそうです。湧き上がる水泡が団子にたとえられ、みたらし団子の発祥となりました。
蛍火の茶会
6月初旬には糺の森に蛍が飛び交い、「蛍火の茶会」が開催されます。かつては糺の森の泉川に多くの蛍が飛び交い、川沿いには屋台が並び、川には船が浮かび興を催すといった幻想的風景がそこにありました。しかし、川の枯渇や農薬の汚染によって蛍やその他昆虫は壊滅寸前となりました。そこで、地元民が協力して環境を保持した結果、現在では再び蛍が見られるようになったのです。
[…] […]
[…] […]