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独立記念館の概要

アメリカ合衆国のペンシルバニア州フィラデルフィアにある独立記念館は、イギリスの植民地時代に第3代アメリカ合衆国大統領であったトマス・ジェファソンらによって起草されたアメリカ独立宣言が行われた場所です。アンドリュー・ハミルトンによって設計され、もともとは議事堂として建てられました。
アメリカの建国に重要な役割を果たし、歴史上においても重要な場所であるため、1979年に世界文化遺産に登録されました。
歴史

先コロンブス期のアメリカ合衆国には、もともとアジア系のモンゴロイドが暮らしていました。15世紀からヨーロッパで大航海時代となり、1492年にイタリアの探検家クリストファー・コロンブスによってアメリカ大陸が発見されます。16世紀に入り、イギリスやフランスをはじめとしたヨーロッパの国々がアメリカを植民地化しました。
イギリスがアメリカ東海岸を植民地化するために、バージニア会社という勅許(ちょっきょ)会社を設立。
1607年に最初に植民地として建設されたのはヴァージニアで、その後、会社植民地、領主植民地、自治植民地が造られ、18世紀には社会植民地が王領植民地に変わり、東海岸に全13の植民地が建設されました。
近隣のカナダやルイジアナはフランスの植民地となっており、これらの獲得に向けて激しい英仏植民地戦争が勃発。その後、七年戦争へと移りイギリスが勝利を納めます。しかし、長期化した戦争によってイギリスの国債が増え、それらを補うために植民地への課税を強化し、砂糖税、印紙法などを強いました。1773年に茶法を制定したことにより激しい反対運動が起こり、1773年にボストン茶会事件が起こりました。これが発端となり、1775年に13の植民地がアメリカ独立戦争を起こします。
1774年に第1回の大陸会議がフィラデルフィアで開催され、植民地の同盟が成立。翌年の1775年に第2回大陸会議が招集され、ジョージ・ワシントンが独立戦争の司令官として任命されます。翌1776年の大陸会議によって、トマス・ジェファソンらが起草したアメリカ独立宣言を採決したことによりアメリカ合衆国が発足しました。
しかし、この時はまだ独立戦争は収束せず戦争は続き、1781年ヨークタウンの戦いでアメリカが勝利を収めたことにより独立が決定的となり、独立戦争の終わりを迎え、1783年のパリ条約でアメリカの独立が認められました。独立宣言とアメリカ合衆国憲法が独立記念館で制定されたため、歴史的に重要な場所であることや、それらに関わる重要な文書・建造物が残されていることから1979年に世界文化遺産として認定されました。
必見ポイント
独立記念館の建物とアメリカ独立歴史公園

独立記念館はアメリカ独立歴史公園の中にあります。この公園には、アメリカ独立戦争やアメリカ合衆国誕生の歴史に関する重要な建造物が豊富で、中でも独立記念館が最も重要な場所です。赤煉瓦でできた2階建ての建物で、ジョージ王朝式で構築されており、中央には尖塔と鐘楼があり、建物はおよそ51mの高さを誇ります。
本来の建設目的は、ペンシルバニア州の議事堂として使用されるためでした。弁護士のアンドリュー・ハミルトンらによって設計されて1753年に完成。これ以降、植民地の議会がここで行われてきました。現在は生活史博物館として一般公開されています。
自由の象徴「リバティ・ベル」

自由の鐘とも呼ばれるリバティ・ベルは、アメリカ合衆国の自由の象徴です。もともとはペンシルベニア州議事堂で使用することを目的に作られました。イギリスの鐘メーカーによって作製されましたが、初めて鐘を鳴らした際にヒビが入ってしまい、再び鋳造(ちゅうぞう)されます。完成した鐘の音色がおかしなものだったため、修正が施され3番目の鐘が議事堂にかけられました。
1776年7月4日のアメリカ独立宣言が交付された4日後、市民へ独立宣言が朗読された際に鳴らされました。19世紀に入り、アレクサンダー・ハミルトンやトマス・ジェファソンの死を告げるために鳴らされ、ジョージ・ワシントンの生誕100周年を記念した際にも鳴らされました。1846年に鐘の冠部分まで亀裂が生じてしまったため、現在は使用ができません。