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概要
フランス、パリの南東にある「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、訪れた人々にたいへん豪華で雄大な様相を見せてくれます。
12世紀のカペー王朝後半から歴代のフランス王達が愛し、自身の好みに合わせて次々に宮殿を改築していったため、宮殿にはいろいろな時代の建築様式が混じっています。ルネサンス庭園と英国式庭園の二種類がある広大な庭園には、幾何学模様の花壇やディアンの噴水、1200mもある大運河など、豊かな景色がたくさん広がっています。宮殿と庭園は、時代とともに数々の歴史の変遷を経験してきました。
美術、建築様式等、注目するポイントの多いこの「フォンテーヌブローの宮殿と庭園」は、1981年に世界文化遺産に登録されました。
歴史
狩猟のための館だったフォンテーヌブローの宮殿は、イタリア遠征に力を入れていたフランソワ1世によって改築されていきました。この宮殿の主な部分はフランソワ1世が造り、彼の息子のアンリ2世の時代には、宮殿の大拡張が行われました。
フランス革命時には調度品などを略奪されましたが、破壊はなんとか免れました。その後は、宮殿をとても気に入ったナポレオン1世が大掛かりな改修工事を行います。ナポレオン1世が失脚した後は、ナポレオン3世が居城としました。
庭園は、ルネサンス庭園と英国式庭園の二種類があります。ルネサンス庭園はフランソワ1世とアンリ4世が、英国式庭園はナポレオン1世が整備しました。宮殿と同じように庭園もそれぞれの時代の王達の好みによって整備されたのです。
世界遺産登録の経緯
フランソワ1世は、イタリアのルネサンス様式にたいへん魅せられ、イタリアから数多くの芸術家をフランスに呼び寄せました。これらの芸術家達がもたらした優美で豪華なルネサンス様式で宮殿内は装飾されたのです。フランソワ1世は、フランスにイタリアのルネサンス芸術を持ち込み、のちのフランス芸術に大変貢献した人物として有名です。
ナポレオン1世ものちに宮殿の大改築を行い、結果的に宮殿にはさまざまな様式が取り入れられることとなりました。宮殿も庭園もたいへん壮麗で、芸術、美術、建築などの面で多大なる価値があることから、1981年に、フォンテーヌブローの宮殿と庭園は世界文化遺産に登録されました。
必見ポイント
別れの中庭
宮殿の正面には馬蹄形の階段がありますが、ここは、ナポレオン1世が帝位を剥奪されてエルバ島へ流される時に近衛兵に別れを告げた場所です。宮殿に囲まれた中庭と階段が広がるこの空間では、とても感動的なドラマが繰り広げられていたのです。この出来事から、ここは別れの中庭と呼ばれるようになりました。
フランソワ1世の回廊
フレスコ画や化粧漆喰の装飾がいたるところに施されている回廊です。フランソワ1世の紋章の木彫りなども見られます。宮殿の中で一番豪華な美しい場所です。
ディアナの回廊
王妃の部屋を改装し、回廊にしたものです。80mほどもあるこの回廊は、後ほど図書館に改装されました。天井には、神話に登場する女神ディアナが描かれています。
舞踏の間
フレスコ画の装飾が素晴らしい、舞踏会用の広間です。大きなガラス窓から太陽の光が差し込み、明るさも演出できる構造となっています。
国名 / エリア | フランス / ヨーロッパ |
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登録年 | 1981 |
登録基準 | 文化遺産 (ii) (vi) |
備考 | ■関連サイト Palace and Park of Fontainebleau(UNESCO) |