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アーグラ城塞の概要
アーグラ城塞はインドの首都デリーから南に約200㎞の場所に位置する、かつてムガル帝国の皇帝が住んでいた歴史深い城です。
16世紀の第3代アクバル帝がデリーからの遷都を機に建てられました。しかし、大部分の建築物は第5代シャー・ジャハーン帝時代に造られています。
別名「赤い城」と呼ばれているアーグラ城塞。その名にふさわしい赤砂石造りの赤く強固な城壁は、300年間続いたムガル帝国の威厳と栄華を感じさせます。
アーグラ城塞の外部は威厳を感じさせる造りになっていますが、内部に入ると、白い大理石な細やかな装飾がなされた宮殿やモスク、庭園、公謁殿が多数広がっています。これらの宮廷建築群からは、華麗なムガル朝建築芸術を知ることができると共に、ムガル帝国が文化的側面においても目を見張るものがあることが伺えます。
かつてインドを支配したムガル帝国の富と権力を象徴する歴史的遺産であることから、1983年に世界遺産に登録されました。
歴史
アーグラ城塞はムガル帝国と密接な関りがあります。
ムガル帝国とは、1526年から1858年までインド亜大陸のほぼ全てを支配したトルコ・モンゴル系のイスラム王朝です。
その中でも第3代アクバル帝は全盛期の先駆けとなった人物で、帝国と呼ばれるにふさわしい国家にまで発展させた人物でもあります。彼はインド歴史の中で、「最も偉大な王であり、融和の象徴」と讃えられ、同盟関係を結ぶことで支配権を広げた他、文化面にも力を入れていました。
その後、アクバルの息子ジャハーンギールが統治し、平和と繁栄をもたらしました。そして5代シャー・ジャハーンの時代、ムガル帝国は最盛期を迎えることとなるのでした。
彼はまず、帝国の領土をさらに発展させました。また、国力の強化と同時に文化面にも力を入れ、その結果ヒンドゥー文化とイスラム文化が融合したインド・イスラム文化の芸術が花開くこととなりました。
このようにすべてが順調に進んでいた時に起きたのが、愛する妻の死でした。深い悲しみに苛まれたシャー・ジャハーンは、その悲しさのあまり一年の間、公の場に現れませんでした。その愛する妻への愛の証として建てられたのがタージ・マハルです。
その後、シャー・ジャハーンの3男が皇帝の座を掴みました。当時、シャー・ジャハーンは存命でしたが、3男は病気の父をアーグラ城塞に幽閉していました。幽閉されていたシャー・ジャハーンがいた場所が現在の「囚われの塔」です。
ムガル帝国は、異民族・宗教同士の対立やイギリスの介入などを経て、1858年に終焉を迎えることとなりましたが、当時の絶大な富と権力は今も爪痕を残しているのです。
必見ポイント
ムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)
5代シャー・ジャハーンが幽閉された場所です。ここ囚われの塔からはタージマ・ハルを見ることができます。
彼はどのような思いで愛する妻の墓廟を見ていたのでしょうか。
ジャハーンギール宮殿
白の大理石と金の装飾が特徴の宮殿。現在残っているアクバルによって建てられた赤砂石造りの建物はジャハーンギール宮殿のみです。
カースマハル
シャー・ジャハーンの住居。かつて妻が生きていたころ、娘たちと共にここで暮らしていました。
当時は非常に豪華な寝殿だったと言われています。