Table of Contents
日光の社寺の概要
日光の社寺は栃木県日光市山内にある日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺の二社一寺を指し、その建造物群と周囲の自然環境を含めて1999年に世界文化遺産に登録されました。
日光の社寺には約1200年の歴史があり、その始まりは8世紀末まで遡ります。仏僧の勝道上人(しょうどうしょうにん)によって寺院が建立され、男体山を中心に山岳信仰の聖地となった日光は、のちに神道、仏教、さらに徳川家の墓所が複合した宗教的霊地として発展していきました。
信仰者の修行の場であった日光は1590年に豊臣秀吉によって領地の大部分が没収され、一時は衰退しました。しかし江戸時代に入ると、徳川家康の側近、天海によって再興し、1617年に徳川家康、1652年に徳川家光が葬られると、日光山は徳川将軍家の霊廟となり、幕府から手厚い保護を受けるようになりました。
そして1871年に、明治政府が示した神仏分離の考えに基づき、日光の社寺は日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺に分離されました。
現在は、「国立公園法」に基づき1934年に日光国立公園が指定され、「文化財保護法」に基づき保護管理が行われています。
世界遺産登録の経緯
日光の社寺は1998年に国の史跡に指定され、1999年12月2日に第23回世界遺産委員会で文化遺産に登録されました。登録内容は日光山内にある二社一寺(日光東照宮、日光二荒山神社、日光山輪王寺)の103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の建造物群と文化的景観(遺跡)です。
日光の社寺が世界遺産に登録された理由は大きく3つあります。
1つ目は、日光の社寺が人間により創り出された素晴らしい傑作であるということです。建造物の創造性の高さや、建造物と山林の自然との調和が評価されました。
2つ目は、日光の社寺が当時の建築技術を表現する遺産であるということです。日光東照宮と日光輪王寺の大猷院は権現造の完成形であり、後世の建築に大きな影響を与えました。また建築や装飾の創造性及び独創性も最高水準のものであると評価されました。
3つ目は歴史上重要な伝統や文化、当時の人々の慣習や思想を伝えるものであるということです。宗教的なしきたりを通じて自然を畏怖し、崇拝の対象とする日本古来の人々の慣習を日光の社寺の姿から生き生きと感じ取られる点が評価されました。
構成資産
日光東照宮
日光東照宮は1617年に徳川家康の霊廟として建立され、1634-36年には徳川家光によって大幅な改築が行われました。日本の代表的な神社建築様式である権現造は日光東照宮の建築によって完成したと言われており、彫刻や彩色、漆塗りなどの建築装飾も最高水準の技術が用いられていました。本殿、石の間、拝殿、陽明門など8棟が国宝に、34棟が重要文化財に指定されています。
龍や唐獅子、牡丹など508の彫刻が施され、金箔によって装飾されている日光東照宮の陽明門は一日中見ても飽きないという意味から「日暮しの門」と呼ばれています。
有名な神厩舎の三猿(見猿・聞か猿・言わ猿)、想像の象、眠り猫の彫刻が見られるのも日光東照宮です。
日光二荒山神社
日光二荒山神社は山岳信仰の中心的な場所になっており、本殿や神橋など23棟が重要文化財に指定されています。
「神橋」
日光山の入り口に見られる神橋は石の橋脚からかかる朱漆塗りの美しい橋で、日本三大奇橋の1つとされています。
日光山輪王寺
日光山輪王寺は8世紀末に仏僧勝道によって建立された四本竜寺を起源とする天台宗の寺で、江戸時代初期の代表的な建築様式を用いており、黒色と朱色の美しい対比が特徴的な建物です。大猷院霊廟本殿、相の間、拝殿が国宝に指定され、他にも37棟が重要文化財に指定されています。
文化的景観
人間の活動と自然が互いに強く影響しあって形成された日光の社寺周囲の環境も世界遺産に登録されています。具体的には、宗教的活動空間と一体化している石垣や階段、参道、山岳信仰の聖域とされる山や森などが挙げられます。御神木として崇められている境内の杉も、日本人の伝統的な自然観(自然を畏怖、信仰する考え)の表れであると言えます。