Table of Contents
概要
ハバナ旧市街とその要塞群は、キューバ共和国の首都ハバナにある世界遺産です。
メキシコ湾をのぞむキューバ島の北西にあるハバナ旧市街は、かつての行政の中心地であり、スペインの植民地時代には総督府が置かれました。キューバ島を発見したコロンブスは、「この世で最も美しい島」とも言い、「カリブ海の真珠」とも形容されます。
1519年にスペイン人のディエゴ・ベラスケスがハバナの街の建設に着手し、17世紀〜18世紀に建てられたスペイン・バロック様式の建築と新古典主義の建物や、アメリカから新しく入ってきたモダニズム建築などが細い道沿いに立ち並び、3000にも及ぶ建物が密集しています。
ハバナ湾に面したオールド・ハバナ(旧市街)という地区の歴史的な建造物と、長らく街を守ったフエルサ要塞、モロ要塞、プンタ要塞、カバーニャ要塞の4つの要塞が、「ハバナ旧市街とその要塞群」という名称で、1982年に世界遺産に登録されました。
歴史
1492年にコロンブスにより発見されたキューバは、1519年から本格的に街並みが形成されていきます。その後、スペインの植民地経営の貿易の中心地として栄えました。しかし、フランスの海賊ジャック・ド・ソーレスの焼き討ちにあったことをきっかけに、スペインはハバナ港の要塞化を進めていくのです。
1558年のフエルサ要塞を皮切りに、モロ要塞、プンタ要塞、カバーニャ要塞が次々と建造されていきました。
しかし1754年からの七年戦争下でハバナはイギリス軍に敗れ、今度はイギリスの統治下のもと、自由貿易港になります。すると、アフリカ人の奴隷たちがイギリスの商人によって多くハバナへと連行されます。そのため、現在でも多数のアフリカ人住民がハバナに住んでいます。
1898年にはアメリカ・スペイン戦争が勃発、スペインが敗れたことにより、今度はアメリカの統治下となります。そして、1902年にキューバが独立し、ハバナが首都となったのです。
世界遺産登録の経緯
キューバ島を発見したコロンブスが「この世で最も美しい島」と言ったり、あるいは、「カリブ海の真珠」とも称されるキューバは、16世紀にこの地を征服したスペイン人によって建てられた植民地様式の建物が、多く建てられました。
17世紀ごろからは造船業で栄え、カリブ界の主要都市のひとつとなります。200万人以上の人口を擁する大都市であり、世界遺産である旧市街(オールド・ハバナ)にはバロック様式と新古典主義様式とが融合した建築物が、現在でも多数残っています。
その美しい景観が人々を魅了することと対照的に、フランスやイギリス、オランダなどの海賊からの襲撃を頻繁に受け、その攻撃に対処するために4つの堅固な要塞が建てられ、それらが旧市街とともに世界遺産となったのです。
旧市街には、中庭を取り囲むように建つ家が建ち並び、建物はアーケードやバルコニー、飾り細工の鉄の門があり、独特の雰囲気を醸しでいます。
一方で、すぐ東にあるハバナ湾を度々攻撃する諸外国から守るために、4つの要塞が建てられました。
最初に建てられたのがフエルサ要塞で、完成時は木造でしたが、海賊に焼き討ちにあったことからサンゴ石造により改築されました。
次に建てられたのがモロ要塞です。運河から侵入しようとする敵を遮るためにつくられたもので、当時はカリブ海最強の砦ともいわれました。
そのモロ要塞の対岸にあるのがプンタ要塞です。モロ要塞と太い鉄の鎖でつながっていて、敵が侵入してくると鎖をあげて船が通れないようにしたのです。
しかし3つの要塞は海からの侵入を防御していましたが、旧市街は1762年に陸路から来たイギリス軍により占領されてしましました。
その後に建造されたのがカバーニャ要塞です。このカバーニャ要塞では、150年以上現在も変わらず、毎晩9時になると大砲の儀式が行われています。
このように美しい街並みと、相次ぐ攻撃のために要塞として備えなければならなかったハバナの複雑な歴史こそが、世界遺産登録の背景としてあるのです。
またハバナは、アメリカが誇る小説家ヘミングウェイが、29歳の時から何度も訪れ、スペイン内戦後には移住しました。この地で、彼の代表作である「老人と海」や「誰がために鐘が鳴る」などの名作が誕生しています。
1959年にアメリカとの関係悪化によりキューバ革命が起こり、ヘミングウェイはアメリカに帰国せざるを得ず、2度とキューバを訪問することはありませんでしたが、彼の農園と邸宅はキューバ政府に寄贈されています。このように、ハバナには文化的価値もあるといってよいでしょう。
必見ポイント
オールド・ハバナ(ハバナ旧市街)
オールド・ハバナとはハバナ湾に面した地区のことであり、1519年よりスペイン人が建設を開始しました。
17〜18世紀のバロック様式、新古典主義そしてアメリカから伝わってきたモダニズム、そしてアールデコといういくつもの時代が異なる建築様式のきらびやかな建物が立ち並び、大聖堂やガルシア・ロルカ劇場、旧国会議事堂などが見所です。
革命博物館
オールド・ハバナの中心にあり、照明にある戦車が特徴的な建物です。
1920年に大統領官邸として建造され、第3代大統領マリオ・ガルシア・メルカルの時代から第14代、17大統領フルヘンシオ・バティスタ・イ・サルディバルまでの大統領が官邸として使用していました。
サン・クリストバル大聖堂(ハバナ大聖堂)
1555年に建造され、18世紀に再建された大聖堂です。白を基調としたバロック様式の建物で、旧市街地のシンボル的存在となっています。
左右に塔があり、それぞれ鐘楼の大きさが違うのが特徴的です。右側の塔には、重さが7tもの鐘が吊り下げられています。聖堂の床には大理石が使われており、スペインの黄金時代の雰囲気が思い出させるでしょう。
ビエハ広場
オールド・ハバナの中心にあるビエハ広場は、「古い広場」という意味で、16世紀後半につくられた古くからある広場です。周囲をコロニアル様式の邸宅に囲まれ、そこは20世紀初頭のアール・ヌーヴォー(新しい芸術の意味)の装飾を施した建物が多く見られます。
広場の中心には、イタリア人彫刻家のジョルジオ・マッサーリが作った像がそびえたっています。
カピトリオ(旧国会議事堂)
白一色の外観と、ドームが非常に惹きつけられる建物です。カピトリオはもともと、アメリカによる統治下の真っ只中の1929年に建てられたため、アメリカ風の建造物となりました。
幅208m、高さ98mの4階建てで、円形の柱廊の上にドームが乗せられています。正面玄関の胴でつくられた扉には、キューバの歴史が描かれた30枚の浮彫が飾られています。
ガルシア・ロルカ劇場
カピトリオ(旧国会議事堂)のすぐ近くにある大聖堂です。1930年にハバナを訪れたスペインの詩人・劇作家でもあるガルシア・ロルカの名前にちなんで名付けられました。
1873年に建造されたバロック様式の劇場で、正面の装飾が特徴的です。2つのホールで構成され、現在でもキューバ・クラシックバレエの本部となっており、国立バレエ団の公演や国際バレエ・フェスティバルの会場にもなっている劇場です。
フエルサ要塞
1558年にバルトロウ・サンチェスにより建造されたハバナ湾で初めての要塞です。建造された当初は木造でしたが、のちにフランスの海賊に襲撃されたことにより、サンゴ石を使用した強固な石造りの要塞となり、周囲は堀で囲まれました。
モロ要塞
1640年に完成しました。ハバナ湾やスペイン艦隊の防衛のために建造されました。20mの高さがある城壁は、大船団を率いてきたイギリスの海賊ヘンリー・モーガンの襲撃を退け、17世紀前半には3回にわたる海賊からの襲撃からも街を守り、カリブ海最強の砦ともいわれました。
現在では要塞内部は、コロンブスの旅の軌跡や歴史を展示する博物館となっていて、レストランもあります。要塞から見る、ハバナ湾や旧市街はとくに絶景ポイントで、ハバナ随一の観光スポットです。
カバーニャ要塞
長い間、敵から街を守ってきたハバナの要塞群でしたが、1762年、陸から迂回してきたイギリス軍によって11ヶ月間、占領されてしまいます。1763年のパリ条約によりキューバはスペインに返還されますが、その交換条件としてフロリダがイギリスに占領されることとなりました。
イギリス軍による攻撃をきっかけに、陸路からの侵略に備えて建造されたのが、このカバーニャ要塞でした。当時のスペイン王カルロス3世の命令により、1763年に建築が開始されました。10年の歳月をかけ、アメリカ新大陸でスペイン人が手がけた最大の要塞でもあります。
カバーニャ要塞では、現在でも毎晩9時になると大砲の儀式が行われています。この儀式は150年間も続いており、市民や観光客からも高い人気があります。
プンタ要塞
本格的にハバナの街を守るために、イタリア人の軍事建築家ジョヴァンニ・アントネリが設計し、1590年に建築が開始されました。完成した要塞は、対岸にあるモロ要塞との間に太い鉄が張られ、多くの敵国の船や海賊船から街を守ってきました。
要塞の内部は現在、一部が博物館となっており、そこには大砲やガリレオ船の模型などが展示されており、一見の価値があります。要塞には砲台も残っており、現在も当時のままハバナ湾に向かって大砲が備えられています。
また要塞からは、対岸の丘の上にモロ要塞とカバーニャ要塞を見渡すことができ、対岸にあるモロ要塞と同様に絶景ポイントですので、訪れたい場所です。
国名 / エリア | アメリカ大陸 / キューバ |
---|---|
登録年 | 1982年 |
登録基準 | 文化遺産 (iv) (v) |
備考 | ■関連サイト Old Havana and its Fortification System(UNESCO) |