マラケシ旧市街

Medina of Marrakesh

マラケシ旧市街

マラケシュの旧市街は1985年に世界文化遺産に登録された都市。神の国という意味を持ち、南の真珠と称されるほど美しさを持つ歴史のある町です。ムーア様式の最高傑作であるモスクや市場など見どころが満載です。

概要

アフリカ・モロッコのほぼ中央に位置する第4の都市。ベルベル語で「神の国」と呼ばれるマラケシュ(マラケシ)は、「メディナ」と呼ばれる旧市街と、フランス人によって作られた「ゲリーズ」と呼ばれる新市街に分かれ、1985年に旧市街(メディナ)全体が世界文化遺産に登録されました。

1062年にベルベル人によって築かれたムラービト朝の首都としてマラケシュを建都。この時代に建てられたメディナのシンボル「クトゥビーヤ・モスク」や、未だに残されている全長20kmにも及ぶ城壁など見どころがたくさんあり、「南の真珠」と呼ばれるほどの美しさを持つ歴史的な町です。

マラケシュの歴史

マラケシ旧市街

1056年に北アフリカの遊牧民であったベルベル人のイスラム教スンナ派信者が「ムラービト朝」を建国。その後ガーナ王国とモロッコを征服し、1062年にムラービト朝の君主ユースフ・イブン・ターシュフィーンがマラケシュの町を建設して整備が進められました。

ムラービト朝は、マグリブ地方(北アフリカ地中海岸一帯)の征服からイベリア半島まで進出し、大帝国を築き上げました。スペイン征服を機に、サハラ砂漠を横断する貿易の拠点となりオアシス都市として発展を遂げます。また貿易のみならず、マグリブ地方のイスラム文化や学問の中心地としても繁栄しました。

しかしムラービト朝を築き上げた遊牧ベルベル人が弱体化し、1147年にモロッコのベルベル系定着民に滅ぼされムワッヒド朝が建設されました。ムワッヒド朝になってもマラケシュは首都として再建・拡大されます。

この時代は前王朝が作り上げた建造物は破壊され、新王朝が新しいものを作り直す風潮があったため、ムラービト朝時代に建設されていた建造物の多くは取り壊されました。ごく一部残っている建築物は「アルモラヴィッド・クバ(またはクッバ・バアディン)」と、「ジャマ・エル・フナ広場」です。ムワッヒド朝では「クトゥビーヤ・モスク」や「メラナ庭園」、メディナを取り囲む城壁などが作られ、これらは現在でも見ることができます。

見どころ

アグノウ門

アグノウ門
Photo by Matt Kieffer, on Flickr

ムワッヒド朝時代に城壁が建設され、現在でも19の門が存在しています。その中で最も美しいと称されているアグノウ門。メディナで最も古い石造の建造物で、王宮の近くにあります。馬蹄型に縁取られ、繊細な彫刻が施されています。

クトゥビーヤ・モスク

マラケシ旧市街

ムワッヒド朝時代の1147年にアブド・アル・ムーメンによって着工し、息子のヤクーブ・ユーセフの時代に完成。しかし、メッカに対してモスクの位置が正しくないと破壊されました。その後再建され現在の姿になっています。

高さ77mのミナレットはヤクーブ・エル・マンスールによって1199年に建てられました。塔が美しく見えるように、塔の高さと横幅が5:1の比率になっており、ムーア様式の最高傑作と称されています。

このモスクは現在でも礼拝所として使用され、神学校が併設されておりイスラム教徒以外は入場することが出来ないため、外からの鑑賞となります。夜はライトアップされ、昼間とはまた違った雰囲気を味わうことができます。

ジャマ・エル・フナ広場

ジャマ・エル・フナ広場

かつては公開処刑場だった場所。中世から続く繁華街で、現在も多くの屋台が立ち並んでいます。観光の中心でもあり365日無休で、朝から夜まで営業しています。メディナといえばフナ広場!といえるほど観光には外せないスポットです。

現在は「ジャマ・エル・ファナーヌ(芸術家たちの広場)」とも呼ばれ、大道芸・ベルベルダンス、音楽の生演奏などが披露されています。

国名 / エリア アフリカ / モロッコ
登録年 1985年
登録基準 文化遺産 (i) (ii) (iv) (v)
備考 ■関連サイト
Medina of Marrakesh(UNESCO)

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