石見銀山遺跡とその文化的景観

Iwami Ginzan Silver Mine and its Cultural Landscape

石見銀山遺跡とその文化的景観とは

石見銀山

「石見銀山とその文化的景観」は16~17世紀頭に発展した銀山とその周りの景観を含めた文化遺産です。鉄砲が伝来して間もない戦国期の象徴ともいえる銀の産地。最盛期には、なんと全世界の銀の3分の1がこの地で生産されていました。日本の、そして世界の歴史を語るに欠かせない重要な史跡です。

「石見銀山遺跡とその文化的景観」は以下の3つのエリアから構成されています。
・銀鉱山と鉱山町:銀の生産に直接関わる坑道や鉱山、集落や役所。
・街道と山城:鉱山と港をつないだ4つの街道と、4つの山城跡。
・港と港町:銀の積み荷、運搬を行っていた鞆ヶ浦、沖泊、温泉津。緩衝地帯に海域が含まれる地域も。

石見銀山周辺の豊富な遺跡は島根県山間部の豊かな自然と融合しています。銀山を運営する上でのこの独特な土地利用は文化的景観として評価されています。

石見銀山の歴史

龍源寺間歩

14世紀初頭、周防を治めていた大内氏により、石見銀山が発見されました。この情報をかぎつけた商人の神屋寿禎(かみやじゅてい)は本格的な鉱山開発のテコ入れに、朝鮮半島から技術者を呼び寄せます。そして、「灰吹法」とよばれる新しい精錬技術が取り入れられるようになりました。灰吹法とは、動物の骨灰や松葉灰を使い、一旦鉛との合金にした銀からヒ素やケイ素等銀そのものに含まれる不純物を取り除き、純粋な銀だけを取り出す技術。従来の紛成作業、汰り分けの工程では取り切れない不純物を取り除き、極めて純度の高い銀の生成が可能になりました。 これより17世紀にかけて、石見銀山の銀生産量は増加の一途をたどります。

日本の戦国期、世界では大航海時代と言われる時勢において、銀は世界を結びつける重要な存在でした。石見銀山で採れる銀は高品質で、アジアで最も信用のある銀と呼び声高く、ポルトガルやスペイン等ヨーロッパと中国、朝鮮等アジアの交易の潤滑油として東西を行き来しました。

もちろん、銀は国内でも非常に重要な資源であり、資産でした。銀が生む莫大な資産をなんとしても手中に収めたい戦国大名の大内氏、尼子氏、毛利氏は、銀山をめぐり幾度となく争奪戦を繰り広げました。大内氏と尼子氏の間で争奪戦が大内氏の死で治まったやいなや、毛利氏が参戦し、最終的に毛利氏が覇権を手にします。関ヶ原の合戦後、徳川家康により治められ、石見銀山は幕府の重要な財源としての役目を負うようになりました。

その後、鎖国の影響で海外の最新技術の導入に大幅に遅れをとった国内の鉱山開発。しかし、これがかえって石見銀山を伝統的鉱山開発の技術を示す遺構たらしめる結果となるのです。

1923年、世界の人々の生活を支えた石見銀山は明治時代に入って閉山を迎え、約400年間の歴史に幕を下ろしました。

世界遺産登録の経緯

石見銀山遺跡とその文化的景観
Photo by Joel, on Flickr

「石見銀山遺跡とその文化的景観」 は3つの観点から価値が認められ世界遺産に登録されました。

1つ目は、石見銀山で産出される銀がアジア、ヨーロッパ諸国の経済や文化に影響を与えたこと。15世紀に大航海時代を迎え以来、世界を舞台に遠隔貿易が拡大します。文化、価値観が異なる国同士の交易を助けたのは銀の存在でした。良質で大量の信頼ある石見の銀が遠隔貿易を後押しし、アジア、ヨーロッパでは文化交換が積極的に行われるようになります。これにより人、モノ、お金は地域をまたいで流動し当時のアジア、ヨーロッパの経済、文化は大きな変化を遂げました。

2つ目は、銀生産に関わる坑道や工房などの遺跡が状態よく、しかも豊富に残されていること。銀の生産工程が全て手作業の石見銀山。手掘りの坑道、鉱山、精錬工房や集落の跡が数多く残されています。

そして3つ目は、石見銀山の鉱山運営の全体像が自然環境と一体となり文化的景観を今に伝えていることです。石見銀山には当時の鉱山運営の全体像が残されており、また、それが自然環境を壊すことなく豊かな森と共存しています。銀の精錬には多くの木材が消費されるにもかかわらず、石見銀山に自然が残っているのは、当時から自然に配慮し、計画的な植林が行われていたためです。鉱山開発を通した人々の営みが自然に調和し、共に生きた風景そのものに価値が認められています。

石見銀山周辺の見どころ

手掘りの坑道、龍源寺間歩

石見銀山 龍源寺間歩

石見銀山には、間歩(まぶ)と呼ばれる手掘りの坑道が600以上あります。龍源寺間歩は中でも代官所直営の大坑道で、全長約600m。全て手作業で掘られた龍源寺間歩では、ノミで掘られた跡や排水のため垂直に彫られた100mもの竪坑が今も当時のままの様子を残しています。

江戸の面影を残す、大森地区の町並み

石見銀山
Iwami-Ginzan area by cotaro70s, on Flickr

龍源氏間歩につながる大森地区では、銀で栄えた当時の生活が根付いた町並みを楽しむことができます。江戸時代の武家屋敷や代官所、銀山で栄えた豪商、熊谷家の住宅など、歴史的な建造物や文化財が今も姿をそのままにしています。


国名 / エリア アジア / 日本
登録年 2007年
登録基準 文化遺産 (ii) (iii) (v)
備考 ■関連サイト
Iwami Ginzan Silver Mine and its Cultural Landscape(UNESCO)

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